第10号コラム:石井 徹哉 理事(千葉大学大学院 人文社会科学研究科 教授)
題:「デジタル・フォレンジックの体系化とロカール」

 

唐突ですが、「ロカール」をご存じでしょうか。

情報技術の方々は、当然だとか、そんなの「フォレンジック」に関係ないとか、「ロケール」が正しい読み方だとかいわれるかもしれません。ここで、私が「ロカール」といったのは、ソフトウエアのローカライズ等で問題とされる「ロカール(locale)」ではありません。伝統的なフォレンジックの学問的体系化をしたとされるエドモンド・ロカールのことです。ロカールは、「あらゆる接触が痕跡を残す」というロカールの交換原理を提唱したとして、また、指紋照合の方法を確立したとして伝統的なフォレンジックでは著名です(CSIや新・科捜研の女などのドラマで知った方もいるかもしれません)。

 

この言葉は、犯人はかならずどこかに痕跡を残しているのだけれども、それを見逃しているだけで、犯人の残した痕跡を科学的な手法を投入して明らかにし、証拠化することがフォレンジックの役割であるということも意味しています。おそらくこれは、サイバー犯罪においても妥当するのであって、よくいわれるサイバー犯罪における無痕跡性も、実は痕跡を見逃しているにすぎないのであって、科学的手法を投入することで痕跡が明らかになるのでしょう。ここに、デジタル・フォレンジックのひとつの役割があります。

 

このような前置きをしたのは、デジタル・フォレンジックでは、伝統的なフォレンジックを知らずにあるいは無視しているかの状況が時折見られ、それがデジタル・フォレンジックの体系化にとっては、問題だと考えるからです。

 

たしかに、デジタル・フォレンジックは、学問として見た場合、まだ新しいものであって、その他の学問の創世段階と同様、とらえどころのない、混沌とした状態にあるかもしれません。おそらく今後、学術的成果の集積とともに体系化されていくものと思われます。

 

しかし、ごく当たり前のことですが、デジタル・フォレンジックは、伝統的なフォレンジック(いわゆる法科学、具体的には、指紋照合やDNA鑑定などを想起してください)の一領域あるいはその派生領域にあるということです。よくデジタル・フォレンジックを(長たらしく呼ぶのが面倒なせいか)たんに「フォレンジック」と呼ぶ方がいます。これは伝統的なフォレンジックと混同させるもので、好ましいとはいえません。むしろ、このことは、デジタル・フォレンジックがフォレンジックであること忘れている、あるいは知らないことを示すものといえるでしょう。

 

米国においては、このようなフォレンジックが存在しない(あるいはこれを知らない)デジタル・フォレンジックというものは、あまりみかけません。ひとつには、法執行機関が積極的に関与して学術的な発展を支援していることもあるでしょうし、フォレンジックそのものが法執行機関内部にとどまることなく、広く研究対象とされてきたという経緯もあるようです。日本では、法医学などの限られた例外のほかは、フォレンジックが法執行機関内部において展開され、広く研究対象とされていたとはいえず、この点では、フォレンジックのないデジタル・フォレンジックがあるのもやむを得ないかもしれません。

 

 

とはいえ、デジタル・フォレンジックを体系化してゆくに際して、やはり伝統的なフォレンジックを無視することはできません。むしろ、積極的にその知見を基礎にしていくことが必要でしょう。

 

このことは、先日京都で開催されたIFIP11.9の国際会議において、Rodney McKemmish氏とMark Pollitt氏二つの報告が伝統的なフォレンジックを基礎にして、デジタル・フォレンジックの体系化を試みようとしたことからも示されます

<http://www.ifip119.org/Conferences/WG11-9-Program-2008.pdf>。

また、デジタル・フォレンジックが法科学であるがゆえに、法制度による制約をうけるということです。たしかに、情報技術としてデジタル・フォレンジックをとらえた場合、自然科学ないし工学的な普遍性のゆえに、欧米での学術的成果やツール類をただちに取り入れることは、可能でしょうし、問題もないでしょう。

 

しかし、プログラミングに際して、「ロカール(locale)」を適切に設定しないとうまくローカライズされて動作しなくなることがあるように、デジタル・フォレンジックにおいても、「ロカール」を設定することが必要です。そして、ここでは、わが国固有の法制度を適切に理解して、それに適合させることがもっとも重要でしょう。とりわけ、米国におけるデジタル・フォレンジックは、あくまで米国の法制度を前提に研究・開発されているのであって、それをそのままわが国に持ち込んでよいのかどうかは、慎重に検討を要するでしょう。他方で、わが国固有の法制度も存在しているのであり、わが国のオリジナルのデジタル・フォレンジックが展開していく素地も存在しているといえます。

あらためて指摘することではないかもしれませんが、デジタル・フォレンジックを体系化し、さらに発展させていく際に、上記の点(そのほかにもありますが)を配慮することが必要です。附言しておきますと、米国の大学院レベルでのデジタル・フォレンジックの専門職課程および研究課程では、伝統的なフォレンジックと証拠法などの法制度の科目がかならず配当されており、たんなる工学あるいは情報技術の科目だけを修得すればよいものとはされていません(この点に関しては、HICSS40やHICSS41のデジタル・フォレンジックのトラックの報告をご覧下さい<http://www.hicss.hawaii.edu/>)。