第61号コラム:伊藤 一泰 氏(株式会社インターセントラル 総務経理部長)
題:「コーポレート・ガバナンスとナレッジマネジメント」

コーポレート・ガバナンス(企業統治)が日本でも意識され始めたのは、1990年代だといわれている。

2002年12月には、当時の東証社長の呼びかけで「上場会社コーポレート・ガバナンス委員会」が設置され、「上場会社コーポレート・ガバナンス原則」を取りまとめている。上記委員会の報告書「上場企業のコーポレート・ガバナンスの充実に向けて」(2004年3月11日)を見ると「コーポレート・ガバナンスに関する啓発とガバナンス関連情報の開示を通じた上場会社のアカウンタビリティーの向上、更には市場の評価を通じたコーポレート・ガバナンスの充実に役立てる・・・」との表現があり、当時の意気込みが伝わってくる。

現在では、すっかり定着したかにみえるコーポレート・ガバナンスの概念も、歴史的には、つい最近導入され、関係者の努力で普及促進が図られたものである。

これまでの伝統的な日本企業は、何らかの重大な問題に直面した場合に、明文化されたルールに基づく合理的な解決策よりも、ウエットな人間関係にどっぷりと漬かった世界で、暗黙のルールに従って処理する方法を選択してきた。しかも、そのような処理方法を選択したことから生じる判断の誤りや決断の遅延については誰も責任を取らない。

これに加え、巨大組織がもたらす大企業病、社内官僚の跋扈、事なかれ主義による無責任体制といった弊害が経営の根幹を蝕んでいるケースも多い。老舗の有名メーカーが、重大な消費者被害を引き起こし、その結果、長年にわたって築きあげた信用を一瞬のうちに失墜させ、最終的には倒産の憂き目に会う。このような例は珍しくない。そして、このような企業風土の背景には、日本人特有の気質があると思われる。

「以心伝心」、「阿吽の呼吸」という表現は外国人に理解しがたいものらしいが、これらの外国人からは理解しにくい仕組みで動いているのが日本の伝統的な企業である。ここには「見えざる仕組み」で「仲間内だけのルール」に従ってきた企業社会の構造がある。

つい先ごろ訃報が伝えられた土居健郎氏が「『甘え』の構造」を著したのは、今から38年も前の1971年であった。氏は、日本人の精神構造の中心にある「甘え」の概念を分析し、日本人に特有の気質が人間関係の潤滑油となり、経済社会の発展を支えてきたと論じている。これまでは、「甘え」の構造に寄りかかった経営でもうまくいったのかも知れない。しかし、変化の激しいこの時代には、「甘え」は許されなくなった。

ちょっと気分を変えて、某企業の内幕を覗いてみることにしよう。

ある日の昼下がり、重大な消費者被害の恐れが発生したとの報告を受け、会議室に集められた関係部の部長たちが深刻な表情で議論している。席上、「これは重大な問題だから社長まで上げたほうがいい」と製造部長が言うと、「いや、この件は、詳細を知っている担当役員に先に上げて判断を仰ぐべきだ」と営業部長が反論。結局、総務部長の裁定で、営業部長が担当役員に報告し判断を仰ぐことになった。しかしながら、報告を受けた担当役員が、あれこれ逡巡しているうちに数日が経過、問題がどんどん深刻化していった。

このような状況はしばしば見られる光景である。この場合、必要なのは、①事前にきちんとした社内ルールを作っておくこと、②問題の早期解決のため、責任者を決め、トップの判断のもと的確で迅速な処理を行うことにつきるであろう。多くの大企業では、このような事態に備え、社内ルールや処理体制を整備していると思うが、実際に機能するのか否か検証が必要であろう。

「甘え」の構造に寄りかかっている企業では、悪い情報はトップに上がらないまま、担当レベルで内々に処理されることも多くなってしまう。いざ、問題が公になったときに、トップが適切な対応ができず、傷口が広がるのは当然の成り行きである。

話は変わるが、企業における業務改善の一手法であるナレッジマネジメント(KM)について、情報管理やコーポレート・ガバナンスの観点から私見を述べてみたい。

以前、ある先進的企業にヒアリングした際、「KM成功の秘訣は、先ず、ビジョン・戦略・価値観を明確化し全員で共有すること。KM推進にはインセンティブや評価指標も重要であるが、最も大切なのはリーダーシップである」とのコメントをいただいたのが印象的であった。また、「KMは『アプリケーション』そのものであり、基幹業務のプロセスに関連する担当者が持つ知識、経験、アイディアを全て組み込むべきものと考えており、日常業務や定型化されたプロセスのみでなく、非定型あるいは単発的な業務にもKMを取りこむべきだ」というコメントにも共感を覚えた。

共有化すべき情報は、必要度と活用度の両面から吟味し、徹底的な「棚卸」を実施することも重要である。ある大手銀行では、KM再構築に際し、「捨てる情報」、「管理・保存(アーカイブ)すべき情報」、「共有化すべき情報」を峻別し、真に必要な情報のみを新たなツールに移植することにした。その結果、最終的に移植したのは、全情報のうち7%だけだったという。

これらの先進事例に共通するのは、KMを単に「新システム構築プロジェクト」として、情報システム部門の問題に局限してしまうのではなく、トップ自らがリーダーシップを持って、全社的なムーブメントにまで押し上げている点にある。

 

一方で、情報共有の推進と個人情報保護との二律背反に悩むケースが増えている。KMは、主に情報共有のツールとして理解されているが、保存が義務づけられている社内文書を電子化し、共用のファイルサーバに保存するようなケースでは、当然ながら個人情報保護など情報セキュリティの観点からの配慮も求められる。

「情報共有」を推進するためには、ヒト・モノ・カネの管理が欠かせない。何をどこに配置するのがいいのか、誰に管理させ、予算配分はどうしたらいいのか、どのような内部牽制組織にするのか、これらの全体を把握し決断を下せるのは経営トップだけである。

コーポレート・ガバナンスを確立し、しかも、KMを有効活用するためには、情報管理に関する課題をシステム部門に「丸投げ」するのではなく、経営的な視点から問題の解決に取り組む決意をトップが明確に意思表示することが必要と思われる。

今後は、デジタル・フォレンジックについても、コーポレート・ガバナンスやKMのように、企業経営に不可欠な概念やツールとして、ますます有効活用が図られるよう期待したい。また、我々も更なる普及・啓蒙に努めなければならないと思う今日この頃である。

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