第156号コラム:舟橋 信 理事(財団法人未来工学研究所 研究参与)
題:「想定された想定外」

『防潮堤を市民過信』、『市から○日午後4時、避難命令が出されたが避難したのはわずか4、50人だった。・・・完全な護岸工事が行われ、・・・市民が安心していたのではないか。』、『海岸堤防が切れ、たちまちのうちに水深2.5メートルから3メートルに達したので、逃げるひまがなかったのだろう。』、これは、今回の震災の新聞記事ではなく、5千名を超える犠牲者を出した伊勢湾台風直後、昭和34年9月28日の中部日本新聞朝刊に掲載されていた記事である(実際の記事から町名等を○に置き換えている)。これは、291人の犠牲者を出した愛知県半田市の状況を記事にしたものである。また、昭和35年に発行された半田市役所の小冊子「1959年9月26日伊勢湾台風と半田市」には、その状況を『堤防に信頼して避難を見送っていた人も多かった。この堤防が、13号台風[昭和28年(筆者注)]をはるかに上回る高潮で決壊し、臨海工業地帯は暗黒の夜半一瞬にして泥海となったのだからたまらない。』と記している。

一方、本年3月27日の産経新聞電子版には、『日本一の防潮堤を過信 岩手・宮古市田老地区「逃げなくても大丈夫」』、『「日本一の防潮堤」を過信していた-。過去の津波被害を教訓に、高さ10メートルの防潮堤が整備された岩手県宮古市田老地区。東日本大震災では、大きな津波が防潮堤をあっさりと越えた。市によると、防潮堤を信じた結果、犠牲になった住民は少なくないという。』と言う記事が掲載されていた。50年前に見た情景である。

これまでの大きな災害でもそうであったが、今回の災害でも、地震予知研究者や防災関係者から、「想定外」と言う言葉がよく聞かれた。本当に想定外なのか。防災の建造物は、過去の災害を基に、基準や設計値が定められており、過去の災害を超える規模の災害は、「想定外」であることが「想定」されているのではないか。
 伊勢湾台風の6年前、昭和28年の台風13号による異常高潮(「暴風津波」とも言う。)により、伊勢湾や三河湾沿岸の防潮堤が破壊され、その復旧工事に当たって防潮堤の高さの基準とされたのは、愛知県庁が昭和32年に発行した「昭和二十八年十三号台風海岸復興誌」によれば、『13号台風による各地の偏差並びに大正10年9月26日名古屋港における既往最高潮位の偏差を勘案して全海岸に偏差1.60mを採用した』とあり、朔望平均満潮位に最大偏差を加えて計画高潮位とし、これを基に計画波浪高等が算出され、最終的に計画堤防高が定められている。ところが、昭和34年の伊勢湾台風では、これを超える高潮が来襲し、各地で堤防が破壊され、未曾有の被害をもたらす結果となった。

その中でも、日頃から防災に熱心な首長や幹部のいる自治体、例えば三重県楠町(その後、四日市市と合併)や愛知県碧南市、蒲郡市、豊橋市などにおいては、幹部の決断が早く、地域住民が早期に避難をし、多くの命が救われていることは、教訓となろう。
 
この度の東日本大震では、関東大震災以来の大きな被害が発生し、第二次世界大戦後では、最も多くの方々が犠牲になりました。唯唯ご冥福をお祈りするばかりです。

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