第179号コラム:伊藤 英一 幹事(新潟県立新発田病院 循環器内科)
題:「カルテの改竄について」

<はじめに>
いわゆる「電子カルテ」と言われる情報システムが数百床以上の規模の病院に導入されるようになって約10年が経過した。「電子カルテ」という呼称は診療記録の電子化(に重点を置く)というイメージをもたらしやすく、業務におけるITの活用という観点からは情報システムの名称として適切かどうか、以前から個人的には疑問であったが、「電子カルテ」に診療記録の電子化という側面があることは事実である。
医療機関において事故・紛争が発生すると診療記録は重要な資料・証拠となる。医療行為において刑事責任を問われることは実際には稀であるが、電子カルテの導入が始まった頃に、刑事事件における証拠性(あるいは証拠能力)が明らかになるまで電子カルテは導入しない、という考え方を聞いた記憶がある。
医療事故・紛争において、いわゆる「カルテ改竄」が問題になることがあるようであるが、その実態がどのようなものであるのかは不明な点が少なくない。従って、上記のような懸念が実際にどの程度に現実的なものであるかどうかも不明である(ここでは「カルテ」と「診療記録」は同義と考えることにする)。

<紛争時の診療記録管理>
私は職場では医療情報システムの管理に関わりながら、医療安全管理室の業務も行なっている。同様の部署は一定以上の規模を有する病院には設置されているものと思われる。この部署は医療における安全性を高める取組みの中心となるほか、医療事故、紛争への対応を行うことが多い。更に、医療の質向上を視野に入れて活動している施設もある。医療安全は当然のことながら医療の質の重要な一要素であり、平成17年には「医療の質・安全学会」が設立され、活動を続けている。
医療安全管理室の業務はこのように様々であるが、その中では事故・紛争対応が私の主な仕事と言ってよい。そのため、カルテ開示請求書類、捜査機関からの照会文書は、当院では必ず医療安全管理室を経由することにしている。これらは時に紛争の端緒であることがあり、実際に紛争化することは稀ではあるが、早期の慎重な対応が必要となることがある。
カルテ開示請求があった場合、請求書類が書式として整えられており、請求者の立場が確認できればこれを拒むことは特殊な場合を除けばないといって良い。私の職場ではまとまった医療情報システムが5年前に導入された。開示請求・照会に対しては、電子的な診療記録は印刷して交付している。放射線検査の画像は、現在はCD-Rで交付することが多い。現在までの間、交付した諸記録について請求者から改竄の指摘やその疑いを言われたことはない。

病院で医療紛争が認識された場合、そのカルテが紙の場合には別途保管されるのが常だと思われる。カルテは診療目的以外に研究調査などを目的として借用されることが少なくなく、病院側としては重要な書類を保全しておく必要があるためであり、当院ではそのようにしている。そのカルテは内容を確認し、紙の記録は全て写しを作っている。止むを得ない事情で原本を提出せざるを得ない場合や、何らかの事故に備えるためである。
実際にカルテを確認すると、医療の内容以外に記載として何らかの問題に気付かされることは少なくない。疑問な点が生じた場合に当事者や関係者に事情を尋ねることがあるが、そうした記録は別に保管することになる。
そのため、おそらく一定以上の規模の病院で、紛争が表面化した後にカルテを改竄することは個人の作業としては不可能に近いと思われるし、病院としては、カルテ改竄を指弾されるダメージは紛争自体よりも大きいと考える管理者が多いようである。強力な管理者による組織的な改竄はあり得なくないだろうが(実際に行なわれたことがあったが)、医療職では(医療職に限らないかもしれないが)しばしば組織よりも職業帰属意識が強いことを考えると改竄は危険であろう。

<電子カルテへのまなざし>
この数年来、医事法関係書籍のコーナーをのぞくことが書店での私の習慣になっているが、カルテ改竄に関する書籍はあまり見当たらなかった。昨年、「カルテ改ざんはなぜ起きる 検証:日本と海外」(カルテ改ざん問題研究会著)という本を入手することができたので読んでみた(発行は2006年3月)。ここで列挙されている改竄では、紙が診療記録の主体であり、改竄の手法もホワイト上塗りでの抹消・修正、加筆、不自然な追記、偽造差換え、廃棄隠匿などである。(これは、そのように改竄したという主張であって、特に廃棄隠匿の場合には、もともとそのような記録がなかった場合もあり得る)比較的「古典的」と言いたくなる手法であるが、「偽造差換え」や「廃棄隠匿」を組織的に行なわれると、これを指摘するのは難しいかもしれない。
電子カルテの改竄については第7章の座談会記録の発言で、「大きな病院では中央集中管理になっていますから、病院全部がグルになってやらない限り、電子カルテを書き換えるのは非常に難しい。ですから、カルテを書き換えるというような改ざんは、だんだんなくなっていくはずだと思いますよ。」という認識が示されている。これは現場の実感に近い。実際には電子カルテのベンダに記録の「修正」を依頼しても、記録によっては改竄に相当しかねないとして引き受けてもらえないのが現実であり、「病院全部がグルに」なることも不可能である(これはこれで、別の問題ではあるが)。
なお、医療過誤訴訟ではカルテ改竄が争いの一部であっても、医療側の過失の認定にカルテ改竄の有無の判断が不要な場合には、カルテの改竄自体は直接の立証課題ではなく、改竄についての判断は判決の表面に出てこないということを(当然と言われそうだが)この本を読んで知った。そこで、この本の著者らはカルテ改竄自体を問題視して、「証明妨害の法理」に言及したり、「医療記録の改ざんは債務不履行ないし不法行為である」と主張したりしている。後者については個人情報保護法との関連を述べており、今後はこのような主張があり得るのかもしれない。

昨年10月15日号の判例タイムズの特集記事は、東京地裁証拠保全・収集処分検討委員会、医療訴訟対策委員会による「電子カルテの証拠保全について」であった。証拠保全の事由としては「廃棄・散逸のおそれ」と「改ざんのおそれ」のいずれもあり得るようだが、「改ざんのおそれ」を事由とする保全申立のQ&Aの記載は下記の通りであった(注)。『電子カルテシステムには様々なものがあり、中には、更新履歴の変更等に関する権限と必要な知識等を有していれば、更新履歴の改ざんを含め、あらゆる改ざんをすることができるシステムもあるようです。(注6)。したがって、一般論としては、電子カルテであることのみを理由として、改ざんのおそれの存在を否定するのは難しいと思われます。』
その、注6の記載は『電子カルテシステムは、医療機関の規模に応じて、様々なシステムが導入されていますが、大きく分けて、①大学病院等の大規模の医療機関を対象とするもの、②大学病院以外の病院等の中規模の医療機関を対象とするもの、③個人病院等の小規模の医療機関を対象とするものに区別することができます。そして、①及び②のシステムでは、痕跡を残さないで編集等の操作(改ざん等)を行うことは基本的に難しい場合が多いと思われますが、③のシステムでは、痕跡を残さないで改ざん等を行うことが可能な場合があると考えられています。』とある。
私の勤務先はこの分類で言えば②の中規模の医療機関に該当し、状況は前述の通りである。小規模の医療機関の実情については聞いたことがないが、導入が始まって10年前後が経過した医療情報のシステムにおいて、司法側からこのような見方をされていることには、一定の根拠があることが想像される。

「医療情報システムの安全管理に関するガイドライン」は2005年3月末に初版が公開され、それ以降も改定が重ねられており、現在の最新版は2010年2月の第4.1版である。このガイドラインでは当然のことながら、記録の真正性確保を厳しく求めており、これはe-文書法省令(第4条第4項第2号)に基づく要求事項でもある。医療機関における情報システムの導入が、医療の質の向上や医療に対する信頼を向上(回復)する方向に作用して欲しいと私は願っているが、診療記録の電子的保存における真正性確保という極めて基本的な事項においてさえ、現状では厳しい視線が向けられている部分があると言えそうである。この問題について、技術的な課題はあまりないと個人的には考えているが、現実はその通りになっていない模様である。従って、冒頭で述べた『刑事事件における証拠性』に関する懸念は、法律家の視線を考えると、現在でも杞憂とは言い切れないかもしれない。

注:
「電子カルテの証拠保全について」の詳細は、東京地裁証拠保全研究会編著『証拠保全の実務』(金融財政事情研究会、2006)を参照とされている。引用した判例タイムズに、改竄の検証方法について立ち入った記載は見られない。

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