第199号コラム:小向 太郎 理事(株式会社情報通信総合研究所
法制度研究グループ部長 兼 主席研究員)
題:「映画『J・エドガー』とフォレンジック」
クリント・イーストウッド監督の最新作品『J・エドガー』を見ました。レオナルド・デカプリオが、FBIの初代長官ジョン・エドガー・フーヴァーを演じています。
フーヴァーは、自らFBIを立ち上げて、35年間の長きにわたって長官の職にあり続けました。連邦司法省の捜査部門として権限上の制約があったFBIを、広域犯罪を追い詰める強大な組織にしたことで有名です。一方で、歴代大統領や有力政治家との確執が囁かれ、脅迫まがいの言動や黒い噂があったともいわれ、その私生活には謎が多かったとも言われています。本作は、この褒貶半ばする人物の執念と葛藤を、献身的な右腕クライド・トルソンとの仕事や友情を超えた関係に焦点を当てて描いています。
トルソン役は、「ソーシャル・ネットワーク」でビジネスのアイデアを盗んだとしてザッカーバーグを訴えるマッチョな双子を一人二役で演じていたアーミー・ハマー。フーヴァーの秘書をほとんど生涯にわたって勤め、機密書類の管理を委ねられたといわれるヘレン・ギャンディは、ナオミ・ワッツ。比較的若い時代から最晩年まで、デカプリオ、ハマー、ワッツが通して演じきっていて、晩年期はさながら老けメイク合戦といった感じです。イーストウッド作品らしい重厚感のある映像は、アメリカの比較的近い歴史を描くのには適しているのでしょう。画面の説得力にはいつも感心します。ただし、本作は、カットバックの多用があまり効果を上げているとはいえず、率直に言って流れの悪い作品になってしまっているのが残念です。
劇中にフーヴァーの台詞として「あらゆる手段、フォレンジックスを使って追い詰めるんだ」というのが出てきます。一般に、英語でforensicsといえばフォレンジック・サイエンスのことで、日本語で科学的捜査とでも訳すべきものでしょう。フーヴァーは、指紋照合に代表される科学的手法による捜査を定着させたことでも知られています。科学的捜査は、特にその初期の段階ではブラックボックスになりやすく、過度の依存はえん罪の危険をはらみます。この映画でもそのような危険を暗示するシーンが出てきます。また、人権侵害につながるような捜査方法が正義の名の下に使われることも、過去になかったとはいえません。全国民の指紋などの個人データを集約し犯罪捜査に利用するというフーヴァーの主張は、確かに犯罪の取締りに絶大な効果があるかも知れないですが、抵抗を感じる人も多いでしょう。
ところで、デジタル・フォレンジックの技術には、(1)証拠としての正当性を確保する(原本性確保等)、(2)不正侵入等が行われた場合にその証跡をたどる(ログデータ復元、侵入経路切り分け、不正監視等)、(3)証拠を収集する(パスワード解読、IPトレースバック、不正追跡等)といった機能があります。このうち(1)の証拠としての正当性を確保する技術は、むしろ電子証拠が恣意的に利用されないようにするためのものです。このような技術が適切に使われていれば、2010年におきた大阪地検特捜検事の証拠改竄のような事件の防止に役立つ可能性があります。一方、(2)不正侵入等が行われた場合にその証跡をたどる技術や、(3)証拠を収集する技術については、上記のような危険と無縁ではありません。現在のところ、犯罪捜査へのこれらの技術の利用は慎重に行われており、こうした面での弊害に関する危惧はあまり聞かれません。しかし、技術が高度化したり適用範囲が広範になることで、ブラックボックス化することの危険性には注意を払うことが必要です。技術が適正に利用されているかどうかの検証は、常に忘れてはならないでしょう。
【著作権は小向氏に属します】