第198号コラム:坂 明 氏(国土交通省 大臣官房審議官 自動車局担当、IDF会員)
題:「自動車とデジタル・フォレンジック」

先日、全国交通事故遺族の会の副会長、理事の皆さんが私の仕事場に来てくれた。特に事前に連絡をいただいていた訳ではなかったのだが、隣の建物にある警察庁で打合せをした帰りに寄ってくれたのだという。有り難いことであった。遺族の会の方々とも、もう20年以上のお付合いになる。私が大学に勤務していた際には、ゼミの学生と一緒に遺族の方々の全国大会に参加させていただいたり、講義にゲストで来ていただいたりした。

一人の理事の方が20センチくらいの厚さの捜査の一件書類をわざわざ持ってきてくれる。この資料を作るためには警察官も大変な手間と苦労をかけているにも拘わらず内容は嘘なんです、と言われる。その方はご自分の息子さんの死亡事故の状況を明らかにするため、ご自分で加害者と同じ車両を購入して検証を行い、最終的には加害者に嘘を認めさせた。「このような苦労を被害者にさせないためにもドライブレコーダーの装着を制度化して欲しい」と切々と訴えられた。

確かに、被害者が亡くなっていたり、重度の後遺傷害の状態になられたりした場合、証言としては加害者のものしか得られないため実況検分を行っても完全な状況の再現は難しく、捜査過程や裁判において被害者の立場を適切に反映させるという点で課題がある。
ドライブレコーダーは事故の状況を映像で記録するもので、車内・車外の映像情報をJPEG・MPEG4などのフォーマットで保存する。更に、日時のような基本的なデータに加え、速度、加速度、位置情報、音声などを記録する。性能や機能は機種により様々であるが、ものを言えなくなってしまった被害者の代わりに真実を明らかにしてくれる有益なツールである。

被害者ばかりでなく、トラック事業やタクシー事業の経営者の方々も、ドライブレコーダーは安全の確保や事故時の事実の立証において非常に有益であると考えておられる。全日本トラック協会の幹部の方で自ら「ドライブレコーダー馬鹿」と言われるくらいその普及にご熱心な方もおられる。事業者の方々にお話をお伺いすると、運輸事業にとって交通事故は自らの事業の評価に直結する重要な問題であり、ドライブレコーダーの車両への装着とそのデータの活用により企業全体として安全レベルが向上するばかりか、個別の事故捜査がドライブレコーダーによって大幅に省力化されるので関係者である事業者の時間を含む様々なコストが明確な形で削減できるとのことであった。
国土交通省では、ドライブレコーダーを活用した事故分析について検討会も行っている(ドライブレコーダーデータベース検討会 http://www.mlit.go.jp/jidosha/jidosha_tk7_000005_2.html )。

自動車の運行状況を記録する装置には、タコグラフというものもある。これも、円形の記録紙に時間、速度、走行距離などを記録するアナログのものから、デジタル式のものに移行してきている。因みに、タコメーターはエンジン回転計のことで、タコグラフは車両の速度・距離・時間を連続的に記録する装置である。道路運送車両の保安基準では「運行記録計」と規定されており、総重量が8トン以上の貨物自動車等には装備が義務づけられている。
このデータは、事業者自身が分析して安全運転や省エネ運転を進めたり効率的な運行管理を行うために活用するほか、国土交通省や厚生労働省において運行管理や労務管理が適切に行われているかをチェックする際にも利用される。交通事故が発生した際には、警察による捜査でも利用される。

自動車には、デジタルタコグラフにデータを出力するインターフェイスもあり、またデジタルタコグラフ自体、先のドライブレコーダーをはじめとする機器や機能を接続・装備するためのインターフェイスを有するものもある。その意味では、自動車の走行に関する情報を集積し出力するデバイスとの位置付けも可能である。
現在、このデジタル式の運行記録計をより普及させるための検討会も行っている(「トラックにおける運行記録計の装着義務付け対象の拡大のための検討会」http://www.mlit.go.jp/report/press/jidosha02_hh_000064.html )。

運行状況ばかりでなく、自動車への電子制御に関する新技術の導入が進むにつれて、自動車自体の状況をいかに把握するかも課題となっている。昨年2011年11月15日に開催された全日本自動車整備技能競技大会を見学する機会があったが、各都道府県代表の選手である自動車整備士の皆さんがそれぞれ不具合のある車両を課題として与えられ、時間内に不具合を発見し整備することができるかを競う。
各地域の代表であるので、かなりの技術水準の皆さんであるが、それでも時間内に不具合を発見することのできなかったグループもかなりあった。それを見ていて思ったのは、現代の整備は、私がイメージしていた所謂メカニック的な整備ばかりでなく、計測というかそれこそ機器を用いた分析のような部分がかなりある、ということだった。

1970年代初頭から電子制御式燃料噴射装置(EFI)が採用された車両が登場し、更に1970年代末から1980年代にかけてマイコン(マイクロ・コンピュータの略、と説明していて何だか年を感じるが)により燃料噴射制御ばかりでなく点火時期、アイドル回転数制御、排出ガス再循環等様々な制御が行われるようになった。また、併せて、不具合の自己診断機能を車両が有するようにもなった。
その後更に様々な形で電子技術が自動車に用いられるようになり、またそれが各メーカーのアピールポイントにもなってくると、メーカーごとに電子制御系の診断装置を独自に用意するようになってくる。このような診断装置をスキャンツールと呼ぶが、余りにもそれぞれのメーカー独自の診断装置が必要ということになってくると、様々な場面での故障への対応に問題が生じかねない。

そこで、ある程度不具合情報の把握について共通化を行い、汎用性のあるスキャンツールのための仕様や普及方法についての検討を行うといった取組みもなされている(「汎用スキャンツール普及検討会報告書」http://www.mlit.go.jp/jidosha/jidosha_fr9_000005.html )。電子技術を用いた車両の不具合の解析が高度な技術を求められるという観点では、米国において、トヨタ製車両のUnintended Accelerationの解析について、連邦道路安全庁(NHTSA:National Highway Traffic Safety Administration)だけではなく、議会の要請によりNASA(アメリカ航空宇宙局、National Aeronautics and Space Administration)が加わったことが記憶に新しい(http://www.nhtsa.gov/UA )。

セキュリティ的なトピックとしては、電磁的両立性(EMC:Electro Magnetic Compatibility)を巡る問題がある。電磁的両立性とは、電磁妨害(ED:Electromagnetic Disturbance)をせず、且つ電磁的免疫性(Electromagnetic Immunity)を有している、ということである。
電磁妨害とは、電磁波により周辺の人体やデバイスなどに悪影響を与えないこと、電磁的免疫性とは他のものが放射する電磁環境下で電子システムが性能低下なく動作できる性能を確保することである。自動車の電子制御システムが誤動作をした場合、重大事故につながる可能性がある。

実際、1993年にはバスのABSが過大強度の違法無線によるものとみられる電磁波で誤作動した事例もある。2008年2月24日には、モノレールの事案であるが、ブレーキ異常を来し、運転士が非常ブレーキと保安ブレーキを使用して何とか停止したものの、所定位置をかなりオーバーした。この際、進行してきた他のモノレール車両が前方に故障モノレールが停車しているのを見て非常ブレーキをかけ、約19m手前で停止するという非常に危険な状況が生じた。つまり正面衝突寸前であったということである(運輸安全委員会報告書 http://jtsb.mlit.go.jp/jtsb/railway/detail.php?id=1744)。
こうした問題に対応するため、車両の直接制御に関連する機能(エンジン制御、ブレーキ(ABS)等)、運転者等の保護に関する機能(エアバッグ等)、妨害を受けたとき運転者や他の道路利用者に混乱を与えるような機能(方向指示器、制動灯、警音器等)などについての電磁免疫性について国際基準な基準が定められており、我が国でもこれと整合をとる形で基準を策定し、2016年8月1日以降に製作される自動車に適用することとされた。

このように、自動車という日常的な道具について、しかもしばしば発生する事故の解析も含めて、デジタル・フォレンジック的な要素がかなり含まれるようになっている。今後、更に高度交通システムが活用され、それが人間の判断や行動のサポートにも広範囲に利用されるようになってくると、サイバーセキュリティで問題となっているような人的な要素との関係もやや側面は違うが考慮する必要も出てくると思われる。

航空機事故の際よく名前を聞く運輸安全委員会という専門家による事故究明のための組織があるが、重大な自動車事故について対象とするべきではないかとの議論も出てきている。人間と機械と環境(含む外部情報)の複合体である自動車の有り様に情報通信技術は従来より遙かに大きな度合で関わるようになってきており、それだけにその解析も、事実を明らかにし個別事案に対応するという意味に加え、その成果を活用することで今後の「自動車」の未来を開くものともなり得ると思う。

私も、これまで自動車の情報化については、VICSシステムの立ち上げやICカード運転免許証の導入など比較的システム面の業務に携わることが多かったが、今後、今回ご紹介したような、一台一台の走行とその環境や関与する主体の状況を記録し分析するデバイスについても、多くの方々のご理解をいただきながら、地に足のついた形で普及と適切な利用を進めていきたいと考えている。

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