第289号コラム:町村 泰貴 理事(北海道大学大学院 法学研究科 教授)
題:「ビッグデータ時代が民事裁判に与える影響〜訴訟上保護すべき秘密の解釈」

1.テーマ
最高裁の平成25年4月19日決定は、民事裁判手続でビッグデータ時代の情報管理のあり方を考える格好の素材を提供してくれている。
この事件では、民事訴訟の一方当事者が行政庁に対して、全国消費実態調査の調査票データの提出を求めた。このデータは調査対象となった人々の家族構成、居住状況、家計の状況、資産の状況など、個人およびその家族の消費生活や経済状態等の委細にわたる極めて詳細かつ具体的な情報であって、金額等も多くはそのまま記載されている。極めて詳細なライフログを内容としている。このデータから氏名、電話番号、住所等の各事項を除外したものを提出させることができるかどうかが争われ、高等裁判所は提出を命じたが、最高裁は否定した。
この裁判例を素材に、民事訴訟における個人の詳細なプライベート情報の取扱いについて考えてみたい。

2.前提としての民事訴訟法のルール
民事裁判では、相手方当事者や第三者の保有する情報を提出させる手段として、文書提出命令制度(民事訴訟法220条以下。以下では民事訴訟法に限り条文数のみで引用する。)がある。これ以外にも例えば当事者照会(163条)であるとか、訴え提起前の当事者照会(132条の2等)、証拠収集処分(132条の4以下)、証拠保全(234条以下)、訴訟中の文書送付嘱託(226条)や調査嘱託(186条)といった制度があり、裁判外では弁護士会を通じた照会制度(弁護士法23条の2)もある。しかし文書提出命令制度は、提出義務と不服従に対する制裁が規定され(224条、225条)、その要件をめぐって多数の裁判例の蓄積があるという点で、民事訴訟法における情報提出強制の代表格といっても過言ではない。
もっとも、証人尋問や当事者尋問のような通常の証拠調べも、尋問する当事者が持ち合わせていない情報を引き出すという面はありうるので、その意味では文書提出命令と共通する面がある。そして秘密保護については、証人尋問における証言拒絶権の規定(196条、197条)が文書提出義務の除外事由としても援用されている(220条4号イおよびハ)。
こうした状況のもとで、プライバシーに関わる事項も、一応は保護の対象となる。民事訴訟事件自体がプライベートな事柄であるから、その中でプライバシーが尊重されるというのもおかしな話だが、民事裁判は公開の法廷で行われるし、当事者や第三者のプライバシーを必要以上に侵害して良いわけではない。そこで文書提出命令に対しては、所持者が専ら自己の使用に供するためにのみ作成された文書である場合(220条4号ニ)、あるいは所持者が他者のプライバシーに関わる事項を取得し、それについて守秘義務を負っている場合やそれを開示すれば職業遂行が著しく困難になる場合(220条4号ハ)、さらには行政庁の所持する文書に私人のプライバシーが記載されているときで、それを開示すれば公務の遂行が著しく困難になる場合(220条4号ロ)に、提出義務がないとして提出を拒むことができるとされている。
最初に挙げた最高裁決定の事例は、この行政庁の所持する文書(データ)に関するものである。そのデータが個人のプライバシーを記載していて、それを開示すれば行政庁に対する信頼が失われ、公務の遂行が著しく困難になる場合と認められたものである。

3.匿名化すれば良いか
最初に紹介した事例では、全国消費実態調査の調査票データから調査対象者の氏名、住所、電話番号などを除いたものの提出が問題となった。つまり匿名化を施せば提出できるかどうかが問われたわけである。
最高裁は「例えば被調査者との関係等を通じてこれらの情報の一部を知る者などの第三者において被調査者を特定してこれらの情報全体の委細を知るに至る可能性があることを否定することはできず」と指摘して、調査対象者との個人的な知り合いに漏洩すれば、調査対象者個人の特定が可能になるという。しかし、ビッグデータ時代における個人特定可能性を考慮するならば、個人特定の脅威は最高裁が指摘する個人的なつながりがある場合にとどまらないことは明らかだ。
全国消費実態調査には、毎日の事細かな消費活動、すなわちお買い物の詳細や交通利用の詳細などが記録される。個人を識別できる情報が除去されたとしても、いわゆるビッグデータを用いた突き合わせを行えば、個人を特定したリストに再構成することは可能であろう。交通系のカード事業者やポイントカード事業者、あるいは決済系のカード事業者などにとっては、個人特定は容易といえる。それ以外の者でも、各種SNSを利用している者が調査対象者に含まれていれば、SNSでのデータと付きあわせて個人特定に至る可能性がある。
そして各種SNSでプライバシーをさらけ出しているからといって、全国消費実態調査への協力に際して自己のプライバシーが開示される可能性を甘受しなければならないということにはならない。そのような可能性があれば、調査協力を拒んだり、虚偽回答をするなどの対応を招くのであるから、調査の正確性にも悪影響が生じるおそれがある。
かくして民事裁判へのデータ開示は、そのデータを匿名化しても、全国消費実態調査を正確に行うという法目的は損なわれてしまうのである。最高裁はこうした問題を意識していたかどうか明らかではないが、個人特定の可能性を指摘して提出義務を認めなかった判断は誠に妥当なものだったといえる。

4.正しい裁判と秘密保護との調整
プライバシーが危うくなることを考慮してデータの提出を認めなかった最高裁の判断は、以上のようにプライバシー保護という観点では妥当であった。しかし、これは他方で正しい事実認定の上で法的判断を下すという裁判の理想を犠牲にするということでもある。実は平成25年4月19日決定の事案は、本当に審理に必要なデータだったのかどうか疑問のあるケースだった。しかし一般論としては、審理に必要な文書の提出義務を否定すれば、適正な裁判が実現できない。このジレンマを完全に解決するのは困難なのだが、なんとか折り合いをつけることが求められている。
そのヒントとなる制度は、知的財産関係の訴訟に認められている「秘密保持命令」である。例えば特許法105条の4には、訴訟で開示された営業秘密を訴訟追行の目的外で使用し、あるいは開示することを刑事罰をもって禁ずる命令を出すことができると規定されている。
もっともこれは刑事罰が強力すぎて、実際の訴訟では活用されていないと言われているが、民事罰や行政罰で秘密保護の実効性が確保できるかという問題がある。
この点が解決できないと、プライバシー情報などの秘密保護と適正な裁判の実現とのジレンマが解消できないのである。

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