第433号コラム:湯淺 墾道 理事(情報セキュリティ大学院大学 学長補佐・情報セキュリティ研究科 教授)
題:「韓国中央選挙管理委員会デジタル・フォレンジックチーム訪問」

先日、韓国の首都ソウルから地下鉄で30分ほどのところにある果川市の韓国中央選挙管理委員会のデジタル・フォレンジックラボを訪問した。以前の第410号コラムでは韓国警察のデジタル・フォレンジックについて紹介したが、今回は、韓国の中央選挙管理委員会のデジタル・フォレンジックについて若干の紹介を試みたい。

選挙管理委員会といえば、通常は立候補を受け付けたり投票所やポスター掲示版を設置したりという文字通りの選挙の管理を行う組織という印象が強いであろう。なぜ選挙管理委員会にデジタル・フォレンジックが必要なのだろうか。

それは、韓国の中央選挙管理委員会の権能が日本の選挙管理委員会のそれとは全く異なっていることに帰因する。

韓国の中央選挙管理委員会は、選挙の公正な管理を目的として設立され、国会や行政府、裁判所、憲法裁判所と同格の独立した機関であり、憲法上の設置根拠をもつ。職員の数は、約2,800人である。
選挙管理に関しては、アメリカの比較政治学者のピッパ・ノリス(Pippa Norris)を中心とするThe Electoral Integrity Projectが発足し、世界各国の選挙のintegrityを一定の指標を用いて比較評価するという研究が進められ、報告書も公開されている。2014年度版の報告書は、2012年7月から2013年12月までの期間に施行された66ヶ国の国会議員選挙及び大統領選挙73件を比較対象として、11の観点から専門家による評価を行い、その結果をperceptions of electoral integrity (PEI)として100点満点で指数化している。
2014年度版の報告書においては、PEIの値はノルウェー(86.4)、ドイツ(84.1)、オランダ(82.7)、アイスランド(82.5)、チェコ共和国(81.8)、韓国(81.2)、オーストリア(81.1)という順になっており、日本の値は73.8で、ルワンダ(74.2)よりも下位となっている。日本のPEIの値が低いのは、選挙管理機関の独立性が弱いと評価されていることが一因であり、逆に中央選挙管理委員会が憲法上の機関として強い独立性を与えられている韓国のPEIの値は高い。

今回の訪問に際しては、中央選挙管理委員会選挙研修院の高選圭教授にお世話になった。高教授は日本の東北大学大学院で博士号を取得し、ソウル市電子政府研究所企画部長、世宗研究所研究委員を経て現職に就いているが、韓日の電子政府等の専門家として著名で、日本語の著作も多い。
また、デジタル・フォレンジックラボの訪問の前に、韓国では閣僚級ポストとして位置づけられている中央選挙管理委員会事務総長の金容熙氏を表敬訪問した。韓国では、投票所間をネットワークで接続して選挙人名簿や候補者情報を共有し、どこでも有権者が投票できるようにするいわゆる「第二世代」の電子投票を2008年に実現するとしていた。当時、電子投票推進団長としてそのシステム開発を主導していたのが、現・事務総長の金容煕氏である。その後、国会議員の中から反対論が出たことで韓国では電子投票の採用は見送りとなったが、2006年に選挙管理委員会を訪問した際、金氏から電子投票のセキュリティについてのさまざまな説明を受けたことを思い出す。

前置きが長くなってしまったが、韓国の中央選挙管理委員会は、捜査権は持たないものの、選挙法違反事案に関する調査権を有している。選挙管理委員会は、調査を行った結果、選挙法に違反する疑いが濃いと判断した場合に、警察に対して捜査を依頼することができる。逆にいえば警察は、選挙法違反事案の捜査について、買収の現行犯逮捕のような場合を除いて、選挙管理委員会からの捜査依頼を待って実施するのが通例となってきたという。これは、公権力による選挙干渉や恣意的な選挙捜査という非難を受けるのを防止するためであり、その分、憲法上の設置根拠を持つ独立機関である選挙管理委員会が果たす役割は大きいといえる。
このため選挙管理委員会はネットワーク上を探索し、選挙や政治資金に関する不正・違反を調査すると共に、選挙法違反の疑いがある場合には候補者の選挙事務所などに行き、任意でパソコンやスマートフォンなどの提出を受けて、データの解析を行うこともできる。このような事情から、選挙管理委員会にもデジタル・フォレンジックが必要とされているわけである。

中央選挙管理委員会では、2014年からデジタル・フォレンジックチームが活動している。2016年7月に新たな専門の分庁舎が建てられ、デジタル・フォレンジックラボが設けられた。従来から、中央選挙管理委員会ではネットワーク上の探索を行っている。これはTwitter、Facebook、Naverなどの公開情報を、事前に登録したいくつかのキーワードを元に、独自のシステム(民間企業との共同開発)でリアルタイムで監視し、選挙法に違反する書き込みや不正に関する情報を調査するものである。選挙法に違反する書き込みや不正に関する情報が発見されると、それを書き込んだのは誰かという調査が行われる。この調査は、選挙期間外は5名、選挙期間内は20名の、民間から公募した人員で行っている。ただし、ネットワーク上の監視・調査に関して、ディープウェブ、ダークウェブの監視・調査について質問をしたところ、現在、それらの監視・調査はしていないということであった。選挙管理委員会の業務の性質を勘案すると、国民のプライバシーの保護や表現の自由を尊重する必要があり、公開情報以外のインターネット上の監視・調査については、現在のところ必要ないと考えているというのがその理由である。

他方で、候補者から有権者や選挙運動員に対してSNS上で選挙法に違反するよう情報(事前運動に該当するような内容や、買収の申出等)が発信されていることをネットワーク探索によって発見したにもかかわらず、当事者がそれを否定し、発信した情報を端末から削除しているというような場合が増えてきた。任意でパソコンやスマートフォンなどの提出を受けても、発信した情報は削除されているわけである。このため、中央選挙管理委員会でも、削除された情報を復元するという観点からのデジタル・フォレンジックの必要性が高まってきているという。

パソコンやスマートフォンの解析には、EnCase、X-Ways、Falconなどの、日本でも知られている各種のツールが使用されている。これらのツールを用いてデジタル・フォレンジックを行う担当者の中には、元・韓国情報保護振興院(KISA)の職員で、中央選挙管理委員会に特別採用されてデジタル・フォレンジックラボに配属された職員もいるとのことである。なお中央選挙管理委員会では、デジタル・フォレンジック人材の育成について、自治体の選挙管理委員会の職員向けの3週間のOJTや、様々な人材育成研修も行っている。筆者がデジタル・フォレンジックラボを視察した際も、ちょうど地方自治体の選挙管理委員会の職員が研修を受けているところであった。

デジタル・フォレンジックの技術や専門性と、組織内部における階級や地位等とが必ずしも合致せず、専門家の処遇にあたって問題が生じていることは前回のコラムも述べたが、韓国では最近、デジタル・フォレンジックの資格も重視されるようになってきているようである。
韓国の法務部(法務省)とデジタル・フォレンジック学会との共同により、 「デジタル・フォレンジック2級」と呼ばれる民間人も受験することができる資格制度が数年前に創設された。選挙管理委員会には、現在、43名の2級取得者が在籍している。この2級を取得することで、技術者のキャリアパスや給与に影響があるか尋ねたところ、「2級を取得することで0.3Pの人事ポイントが加算され、博士号取得と同等の効果があり、人事的に有利となる」とのことであった。大学院で博士号を取得するのと同じ効果があるというから、かなり有利となることが推察できる。その後「デジタル・フォレンジック1級」も2016年に創設されたものの、まだ実際の試験は実施していないという。

今回は、デジタル・フォレンジックに関係する機関としては比較的新しい選挙管理委員会のデジタル・フォレンジックラボについて紹介した。
デジタル・フォレンジックの範囲の広がりをご理解いただければ幸いである。

【著作権は、湯淺氏に属します】