第549号コラム:町村 泰貴 理事(成城大学 法学部 教授)
題:「現代社会の急激な変化に対する法律学的伝統の価値」

1.現代社会の変化

社会の変化は目覚ましい。特にデジタル・ネットワークの技術進歩は目覚ましく、私たちの日常生活から産業構造に至るまで、大きく変容しつつある。このコラムの読者であれば、詳細を述べるまでもないであろう。近時は、さらにIoTとAIによるさらなる進化が、農業や漁業といったアナログのイメージの強い第一次産業にも変革をもたらし、高度化と省力化を実現している。

技術の進歩は、デジタル・ネットワーク以外でも、特に医療分野の進歩が私たちの生き方や社会構造を大きく変えてきている。とりわけ、生殖補助医療や遺伝子治療、ゲノム編集などは神の領域とも言うべき生命の誕生を左右するものであり、親子の概念にも変容を迫り、このまま行けば人間という概念自体も変わるかもしれないところに来ている。

こうした変化は、良い変化もあれば悪い変化もある。医学の進歩は、子供を持ちたいという思いをかなえ、健康と長寿への希望をかなえるものだが、それにともなって色々なややこしい問題が顕在化してくる。その端的な例が代理母による出産と親子関係の帰趨であるが、その他にも人工生殖のための凍結胚が、その精子・卵子の提供者の意思に反して着床させられ出産に至るとか、あるいは提供者の死後長期間たった後に出産したという場合の親子関係、相続関係などが問題となりうる。

デジタル・ネットワーク技術についても、コンピュータ・ウィルスとか不正アクセスといったあからさまな悪用はもちろん問題だが、ビッグデータが様々な形で集積して高度な利用が可能となる一方で、データ主体にとってのプライバシーや自由は脅かされる。SNSが発達すると、その上に表明される人間の意識が、美しい面も醜い面も、ともに増殖されることになる。AI技術の発達により高度に自律的な活動をする機械が登場すると、人間の地位が脅かされることになる。最後の例は、囲碁や将棋では既に現実化している。

デジタル情報の世界と医療技術の世界との両方にまたがる問題としては、DNA鑑定の光と影が挙げられる。DNA鑑定が容易に行えるようになることで、人々が知りたくても知ることができなかった情報を入手できるようになり、健康に関して先回りして備えるといったことも可能となる。しかし影の面では、親子と信じて疑わなかった父と子が他人であることが判明して家庭が崩壊したり、遺伝的なリスクが明らかになることで社会的な差別を受けたりすることも考えられる。

このように技術の進歩は福音と難問とを同時にもたらしうるのである。これに対して、法律学はどのように対応するのであろうか?

2.法律学の伝統

法律学は、二千年以上の歴史を背負って成り立っている。よく明治時代にできた法律が今でも生き残っていると言われて驚かれるのだが、民法にせよ、刑法にせよ、その基礎は明治のほぼ初めから始まった近代的な法典編纂の時代に築かれた。民法の最初のところには、「朕帝国議会ノ協賛ヲ経タル民法中修正ノ件ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム」という上諭文が記載されている。明治以来の大改正と呼ばれる債権法の改正が施行されても、その骨格は明治民法のままである。むしろ明治時代どころか、古代ローマ法以来の法原理が、今有効な日本の民法にも色濃く残っているのだ。人が生まれてから死ぬまで権利能力を持つとか、未成年者は契約締結の能力が制限されるとか、所有権とか占有権とか、担保責任とか、不当利得とか、ローマ法由来の法概念を数え上げればきりがない。

このように現代日本の法律は、二一世紀の今も、古代ローマ以来蓄積されてきた基本的な考え方に支配されているが、前述のような社会の急激な変化に、この法律はもはや時代遅れで使いものにならないのであろうか?

3.法律の改正と解釈適用

確かに、法律によっては新しい技術に対応できず、時代についていくために改正を余儀なくされることはある。典型的なのは刑事法だ。特に刑法は、あらかじめ罪となるべき行為を明確に規定していなければ、刑罰を科すことができないという、罪刑法定主義が大原則である。これは単に学問上の大原則と言うだけでなく、憲法39条は「何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない」と定めており、ある行為を処罰する法律が施行されるまでは、その行為を実行しても処罰はされない。このようにして、自由な領域を保障しているのだ。

従って、法律が禁止している行為と似たような効果を持つ行為であっても、類推して処罰規定を適用することは許されない。文書を偽造する行為を処罰する法律はあっても電子ファイルを偽造する行為は処罰できないので、電子ファイルを対象とした条文を作らなければ野放しとなる。「人を欺いて財物を交付させた者」を処罰する詐欺罪の規定だけでは、コンピュータに虚偽の情報を入力して財物を入手する行為を処罰することはできない。これらは、早くから条文を追加して、それぞれ「電磁的記録不正作出」を処罰する規定や、「電子計算機使用詐欺」を処罰する規定を明文化してきた。その後も、サイバー犯罪条約の影響もあり、不正アクセス禁止法やコンピュータ・ウィルス製造罪などの法律や条文を明文化してきた。

これに対して民事法は、まず罪刑法定主義という考え方自体が存在しないし、存在し得ない。刑法は、国家の私人に対する刑罰権の行使の根拠であるから、その根拠となるべき法規定がなければ刑罰権の行使はできないというだけであるが、民事法は、対等な私人間の法律関係を定めるものである。対等な私人間の法律関係は、根拠となる法規定があろうがなかろうが、成立するし、法的問題も発生し、その解決もなされる。争いある二人の当事者のいずれの主張を認めるかは、たとえ適用すべき法規定がなくても、妥当な解決をもたらさなければならない。それは基本的に現行法の適用の下で行われるが、それだけではない。

売買契約は、対面した二人の間の意思表示を前提に規定が作られ、空間を隔てた二人の間で郵便によって意思表示を伝え合う場合には特則が設けられていた。こうしたシチュエーションはもちろん古代ローマ法の昔から存在していたが、隔地者間での契約成立が可能となったローマ法の中でも変遷を経てからであった。その後、電話によるやり取りで契約が締結されるようになっても、また電子メールやウェブサイト上での入力によって契約が締結されるようになっても、基本的には対面とか郵便とかを用いる場合と同じ規定を使いまわして契約の成立等を判断してきた。ただし、それでは良い解決が得られないという認識を立法者がもったときには、新たな規定も作る。その例が「電子消費者契約及び電子承諾通知に関する民法の特例に関する法律」である。そこでは電子ネットワークを介した意思表示に民法の発信主義を適用しないことと、ウェブサイト上での消費者の意思表示に錯誤があった場合に、重過失であって無効主張できないケースを制限する規定をおいた。しかし、それ以外の原則は、対面と郵便を前提として作られた規定がデジタル・ネットワーク上のコミュニケーションにも適用されるのである。

罪刑法定主義が存在しない民法の世界では、同様に、法律の規定が明確でなければならないという原則も存在しない。不明確な要件の法規定はありふれた存在であり、一般条項とか、不確定概念とか呼ばれる。基本原則を定めた信義則とか公序良俗、あるいは一般的な損害賠償請求権を定めた不法行為の規定など、要件は抽象的で、解釈により意味を定めなければならず、それだけに必要に応じていかようにも解釈が可能となっている。名誉毀損という規定も、インターネット上の名誉毀損であれ新聞や雑誌での名誉毀損であれ、同じ条文で裁判される(ただし、名誉毀損については刑法上も同様である)。

そして、仮に法律の規定がなければ、刑法なら処罰の根拠がないとして済ませるところを、民法の世界では他の規定を類推適用したり、条理に基づいて裁判をすることも辞さない。例えば、ごく最近までは、外国人との取引に起因する民事紛争について日本の裁判所が管轄権を有するかどうか、明文の規定がなく、条理により管轄の有無を判断してきた。今は、日本の裁判所に国際的な民事紛争の管轄権があるかどうか、明文の規定が置かれたが、それでも外国の裁判所の判決を日本で執行できるかという問題では、その外国の裁判所に管轄権があるかどうかを定めた法律や条約はなく、条理に基づいて判断せざるを得ない。この条理を裁判の拠り所(裁判規範)としてもよいという根拠は、民法などの法典編纂の前に出された明治8年太政官布告103号「裁判事務心得」である。その3条に「民事ノ裁判ニ成文ノ法律ナキモノハ習慣ニ依リ習慣ナキモノハ条理ヲ推考シテ裁判スヘシ」と規定されており、之に基づいているのである。

デジタル・ネットワーク上の紛争に条理という判断根拠が持ち出された例としては、ニフティサーブのシスオペが会員同士の紛争に対して今でいうプロバイダ責任を負うかどうかが争われた現代思想フォーラム事件の第一審判決(東京地判平成9年5月26日判時1610号22頁)や、都立大学事件(東京地判平成11年9月24日判時1707号139頁)に見られる。

4.法の解釈適用

以上のように、法律の規定は古代ローマ法以来の伝統と考え方の蓄積の上に成り立っていて、これをデジタル・ネットワーク上の紛争にも適用して解決を導く。その解決は、時として不適切な場合もあり、立法により変革されることもあれば、解釈によって変更されることもありうる。しかし立法がなければ解決できないわけではなく、法の欠缺と呼ばれる状況においては類推解釈も、そして条理による解決も、行われる。

生殖補助医療の限りを尽くした複雑な親子関係であれ、はたまた中国で行われたようなゲノム編集の結果の出産であれ、AIコンピュータを介した民事取引であれロボットの行為であれ、旧態依然に見える法律が新しい解釈によって柔軟に適用される。その解釈適用の結果がおかしければ、解釈を変更することも辞さないし、立法者が介入して新たな法律を作ることもありうる。

かくして少なくとも民事関係は、新たな法現象に対しても全くの白紙から法を作ることはなく、伝統的な法律学が対処することとなろう。

【著作権は、町村氏に属します】