第556号コラム:江原 悠介 理事(PwCあらた有限責任監査法人 システム プロセス アシュアランス部 シニアマネージャー)
題:「デジタル・フォレンジック的な病院像とは?」
第455回コラム「医療分野におけるポジティブな監査技術としてのデジタル・フォレンジック」で記述する通り、現在の日本の医療機関等では一般的にデジタル・フォレンジックという技術は関係者にとって医療過誤や法定係争等の局面で活用されるといったネガティブなイメージが依然強い状況である。あるいは、医師/患者間において否応にも情報の非対称性が浮き彫りになる医療現場で、デジタル・フォレンジックが客観的に対象とする<ログ>という雄弁な証人の存在は、医療従事者/患者間の信頼関係を阻害する悪しき要因と考える向きも多数あるだろう。
一方で、第526回コラム「新たなテクノロジーは病院を救えるか?」で記した通り、日本の医療現場も、Society5.0のかけ声のもと、現行の患者データの蓄積を元にAIによる分析を行い、医師による診断を深く支援するとともに、患者の日々の生活状況を吸い上げるIoTデバイス等の利活用により、病院内外をシームレスに繋ぐ、患者志向型の医療サービスの提供に向けた、メディカルエコシステムの構築に向け、様々なトライ&エラーが繰り広げられている。当該コラムのなかで言及した通り、内閣府「AI(人工知能)ホスピタルによる高度診療・治療システム」はその一つと言えるだろう。ここで重要な点は、病院や介護等の分野は他のインダストリーと比較し、IT化が遅れているため、他産業同等水準にIT化を実現させようといった考えではない。病院や介護等領域において、医療従事者・患者負担を低減し、より充実した効率的な医療サービスを提供元/提供先がどのように実施/享受できるのかという観点こそが重要である。この観点に立った場合、デジタル・フォレンジックが対象とする<ログ>という存在は、実は医療従事者/患者にとって非常にPeacefulな関係をもたらすことになることが今期の検討を通して明らかになった。
ところで、病院・介護の現場では未だにアナログな慣習が多様にあり、これらを、IT技術を駆使して、より効率化するため、様々な工夫が個々別の事業体、あるいはITベンダにより行われている。しかしながら、こうした工夫を包括的に棚卸した上で、各現場でどのような負荷があるのか、よってどのような工夫が本来求められるべきなのかを体系的に識別・整理し、一つの病院機能の中にパッケージングしようとする試みは未だ起きていない状況である。もちろん、病院個々によって工夫すべき課題は多岐にわたるはずだが、それでも各病院に見いだされる課題感には一定の共通項はおそらくあるだろう。こうした共通項への解決に向けた動きこそが、医療現場におけるSociety 5.0に向けた第一歩として本来求められるべきものではないだろうか。では、この第一歩を方向付けるものは何なのか?
内閣府「AI(人工知能)ホスピタルによる高度診療・治療システム」で取り上げられている課題解決のスキームは、上記の要素を強く有するものである。ただし、医業従事者による医療行為の提供というフロント部が強調されているため、例えば、問診前/診療後の患者の会計受付時の待ち時間短縮といった患者負担、あるいは医事会計上の病院負担の効率化等、バックエンド部にまでは手が及んでいない状況である。また、入院後の患者の状態管理という意味で、看護師やコメディカル等のチーム医療の観点で本来効率化すべき業務導線上の課題も本来は現場目線で見れば複数上げられることは想像に難くない。ここでは日本の医療現場の特殊性も踏まえるべきであり、安易に異なる医療制度を持つ他国のソリューションを持ち込めば解決に至るほど問題は容易ではない。
このような状況を踏まえ、次期の「医療」分科会では、日本の医療従事者の負荷・負担、あるいは患者の負担低減を図るため、様々なIT技術をどのようなPeacefulな観点より、医療・介護の場に援用すべきであるかを中心に検討・議論する予定である。各局面にどのような負荷が生じ、どのように支援を図るべきなのか、支援を図る製品の具体的な条件とは何であるのか、これらの検討結果は内閣府のプロジェクトへ提言を行うことはもちろんのこと、当該プロジェクトがスコープに収めていない領域も含め深堀調査を行う予定である。
もちろん、この検討の前提条件には、該当技術による負担低減がデジタル・フォレンジック的な観点より合意できるものであるか否か、つまり<ログ>の存在性という最重要項目も含まれる。この場合のデジタル・フォレンジックという言葉はIDFの定義を超えた様々な意味を含む幅広い意味で用いている。そのため、一概に確言はできないが、重要なポイントは<医業従事者/患者の負担を低減するものであるか否か>という点であること、さらにはこれを一言で示すと<ログ>の存在性が不可欠であるということになる。
今期の分科会では、医業従事者/患者の現場負担を低減する要素として、医療分野におけるデジタル・フォレンジック的な要素の重要性を整理した。これらの整理結果については、別途、「医療」分科会の報告会で説明させて頂くが、従来のデジタル・フォレンジック的な<ログ>の概念を拡張し、多少異なる定義となっている。これらの内容については、是非、今後の報告会に参加いただき、その内容をご確認頂きたい。
また、次期「医療」分科会では、上述の通り、新たに定義しなおした、日本の医療分野におけるデジタル・フォレンジックの<ログ>という概念とともに、内閣府:AIホスピタルのパッケージング、つまり、AI・IT技術等による諸機能を医療従事者/患者の負担・病院の諸機能とマッチングさせ、あるべき病院機能としての包括的な定義・提言を行うといった、更なる未踏の一歩を踏み進めていく予定である。この未踏の一歩こそが、デジタル・フォレンジックのネガティブイメージを払拭し、今後の「デジタル・フォレンジック的な病院像」の創出へと繋がるだろう。
全ての人間は潜在的な患者であり、医療・介護等の現場と独立して生きることは不可能である。その意味で、我々は皆同じスタート地点に立っているといえる。この場で医療・介護の非効率を常識として受け流すか、それともそこに向けて何らかの爪痕を自ら残そうとするか、それは本人の意思によるだろう。
あえて爪痕を残したいと思う方は是非、次期「医療」分科会のメンバーとして、我々と新たな一歩をともに踏み出していただければ幸いある。
【著作権は、江原氏に属します】