第555号コラム:和田 則仁 理事(慶應義塾大学 医学部 一般・消化器外科 講師)
題:「医療の記録のあり方」

刑事もののドラマを見ていると、犯罪捜査の第一歩は防犯カメラの映像を検証することのようです。街のいたるところでカメラが回っていて、もはや防犯カメラに写ることなく移動することは不可能と言えましょう。昨年のハロウィーンの時、渋谷で軽トラックを横転させた若者は、帰宅する姿がリレー方式で防犯カメラの映像が追跡され、山梨県富士吉田市の自宅が特定され逮捕に至ったとのことです。誠に驚くべき時代となりました。固定の防犯カメラだけではなくドライブレコーダーもいたるところで映像を撮り続けており、悪いことをしたら逃げ通すことはできないと言えましょう。パワハラ事案も、最近では必ず音声データが出てくるようになりました。写真、動画、音声などがスマホで簡単に記録できることも一因といえるでしょう。流行りのスマホ決済も購買履歴の争奪戦の様相を呈してきており、我々の生活も丸裸になりつつあります。

このような状況を不気味とか恐ろしいと捉えることもできるでしょうが、私は楽観的に受け止めています。質の高いビッグデータを持ったものが勝者となる時代に、あずかり知らぬところでデータを取られることを避けるには、山奥で自給自足生活でもしない限り無理なわけで、むしろ状況を提供することでその恩恵に浴することに意味があると思っています。例えば、グーグルのローケーション履歴。オフにしている方も多いと思いますが、私は積極的に利用しています。居場所をずっと監視されていることは、確かに不気味ではありますが、逆に利点の方が多く、やめられません。例えば経費の精算をする際も、タクシーの領収書が、どの移動の時に使用したか思い出せないときも、グーグルマップのタイムラインを見ればすぐにわかります。不気味さと引き換えに利点を享受する方が正解かなと考えるわけです。

その代わりに、悪いことはできないです。確実に証拠が残ります。それを逆手に取って、例えば悪いことをする時だけスマホを置いていくなどして、欺くこともできるかもしれませんが、前述のように監視カメラに捕捉されるのを回避することはもはや無理で、姑息なことはしない方がよいようで、やはり、悪いことをしないのが良さそうです。また、うっかり悪いことをしてしまったら、非を認め謝り、場合によっては罪や損害を償うしかないでしょう。このような対応で、傷口は最小限にして問題が解決に向かうと考えられます。

医療現場も同じかなと思います。かつて紙カルテの時代、診療録の書き直し、事後的な加筆は普通にあったと思います。悪質な隠蔽もなかったとは言えないでしょう。それは、知られたくないことを隠すことが、容易にできばれにくかったからとも言えるでしょう。電子カルテでは単純な書き換えや削除はできません。その結果、カルテを書く量が増えました。医療では不確実なことが多いわけですが、その将来起こるかもしれないことを列記して、言い訳がましく記録することも多々あります。事後的な追及に耐えうる記録をするのが当たり前になったのです。現場の負担は増えましたが、やはり好ましい方向性だと思います。

AIの登場により、今後、カルテに患者さんとの会話をすべてテキストで残すような時代が来ると言われています。それにどのような意味があるかわかりませんが、単純な言った言わないの争いごとはなくなるでしょうし、恐らく、我々の説明する量も増えるでしょう。こうして膨大なデータが蓄積されていくと、もはや人間がそれを見ることは不可能で、それこそAIが見ていくことになるのでしょう。何だかよくわからない状況ですが、ただ言えることは、「悪いことはできない」ことと、「うっかり悪いことをしてしまったら、非を認め謝り、場合によっては罪や損害を償う」ということだと思います。

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