第526号コラム:江原 悠介 理事(PwCあらた有限責任監査法人 システム・プロセス・アシュアランス部 シニアマネージャー)

題:「新たなテクノロジーは病院を救えるか?」

2017年に政府により「未来投資戦略2017―Society5.0の実現に向けた改革―」が閣議決定された。IT技術の発展により、異なる無数の機器・システムが相互に結びつき、様々なデータを蓄積していくIoTの世界において、高度な人工知能(AI)がビッグデータを分析し、データドリブンなアプローチで社会的な課題が解決されるという物語がそこでは紡がれている。要するに新たなテクノロジーが社会を救うということである。

これが、単なる夢物語か否かは時間のみが明かしてくれることではあるが、一般的に、Society5.0と呼称される産業分野のなかには当たり前ではあるが病院等の医療分野も含まれている。今や、様々な新技術により、医療機関等の課題を解決するSociety5.0的なアプローチは巷間を賑わしている状況でもある。次世代医療基盤法(医療ビッグデータ法)等の官製アプローチはもとより、いわくウェアラブル端末により取得した生体データを分析・活用した診療サービス、いわく人工知能を駆使したクラウド型の画像診断、いわくチャットボットによる患者の病態判断の支援ツール等。このような民間事業者によるアプローチも含め、技術革新に伴う医療分野における診療の実効性を高める方策は様々に展開されている。

もちろん、これらの方策が世間一般に普及するためには、医療業界、つまり、病院や医薬品/医療機器事業者等のメリットにとどまらず、患者という最重要なステークホルダーに利益をもたらす仕組が不可欠である。我々=患者が納得・理解し、初めて医療ITは浸透するのであり、その逆ではない。真に重要なのは、患者の理解であり、利益である。

例えば、2018年5月より、EU当局が、一般データ保護規則(General Data Protection Regulation:GDPR)を施行している。この法令の内容自体は様々に論じられているため改めてここで論じるつもりはないが、要配慮個人情報を含む個人データの本来的な所有権が個人に帰属するという、データポータビリティの概念は今後の病院における情報管理態勢にも大きな影響を及ぼすリスクがある。個人の状態を医師が解釈した結果に基づくカルテ情報は現行では病院が管理責任を担うが、GDPRをはじめとした海外のデータプライバシー規制は個人のデータはほかならぬ個人に帰属するという点を強調している。日本では自身の診療情報の開示に一定の金銭的負担がかかり、それに地方差が発生する点が直近で報道され、耳目を集めることになっているが、本来個人に帰属権のある生体/医療データの取扱いに関して、グローバルな規制の潮流を鑑みる限り、今後、日本も見直しを迫られる可能性もあると言えるだろう。患者=個人を優先する規制の機運がグローバルに高まっているのである。

このような動向に対する官製対応の一つとして、内閣府による戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)における「AI(人工知能)ホスピタルによる高度診療・治療システム」計画が挙げられる。ここでは、Society5.0の概念を踏まえ、病院をAIホスピタルという仕組のもとで、診察室における患者/医師のコミュニケーション内容をAI技術により解析し、患者のインフォームドコンセントの理解度に応じた機動的な対応を病院やクリニックが対応可能にしようとしている。患者は非対称的な情報格差により医師の診察内容を神託のごとく受けざるを得ない状況が一般的であるが、この仕組では患者と医師が可能なかぎり対称的な立場でコミュニケーションを可能とする仕組を検討している。これは、患者の利益性をいかに最大化するかという観点に立っている。

ほかにも、患者情報の第三者提供において、該当情報を匿名化せずとも、第三者提供を可能とする仕組の検討が行われている。ここで重要な点は、患者は自身が同意する限りにおいて、第三者への情報提供という、現行の個人情報保護法が様々な留保条件を付している行為にコミットすることができることである。第三者への提供責任は医療機関等が担うのでなく、そのデータの生成主体である患者が担うとなれば、誰も文句をいうものはいなくなる。これは、現行のOpt-OutベースからOpt-inベースへの患者情報の管理スキームのパラダイムチェンジであるとも言えるだろう。非常に有意義であると同時に、個人=患者に自身の情報管理権を帰属させ、自己決定を求めるという意味で、海外のプライバシー規制要件にも見合う内容でもある。

このように、新たなIT技術の進展は現行の病院環境の諸問題の解決に向けた様々な取組を進めているわけである。それではこのような「新たなテクノロジーは病院を救うのか?」

いや、病院ではなく、これらの技術は患者=我々を救うことになるのではないか。患者が救われて初めて病院も救われる。このような当たり前のことが当たり前のように行われる世界が実はSociety5.0の波のなかで徐々に到来しはじめている。我々がこうした便益を身近に感じる日常は実はすでに足元にまで迫っているという点は頭の片隅に留めて頂きたい。ただ、それが夢物語で終わるか否かは、やはり時間のみが証人となるだろう。

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