第525号コラム:和田 則仁 理事(慶應義塾大学 医学部 一般・消化器外科 講師)

題:「医師の働き方改革」

社会的に大きく注目された「高橋まつりさん事件」が発生したのが2015年12月でした。月に105時間を超える残業時間が認定されたとのことです。その後、当該企業の就業実態や「鬼十則」に象徴されるブラックな企業文化が徹底的に糾弾され、2年ほどの間に、労働に対するパラダイムシフトが起きました。

バブル経済の末期、今なら大炎上していたであろう「24時間戦えますか」という栄養ドリンクのコピーに誰も違和感を覚えなかったわけです。私が研修医をしていたのがそのバブルの余韻を残していた1995年でした。その当時も、研修医の労働環境はひどいものでした。休みはゼロで、10日間帰宅せずに働き続けたこともありました。それで月給2万5千円という考えられない状況でした。早く一人前の医師となるためには仕方ないことだと思っていましたし、「患者さんのため」という金科玉条のもと自己犠牲の精神を刷り込まれていったのです。今でも手術をした翌日は休みであっても患者さんの様子を見に行くのは当たり前と思っていますし、伝統的にそういう姿勢が病院では美徳とされています。恐らく患者さんの視点に立っても、そういうお医者さんはいいお医者さんと称賛されるでしょう。また、外科はチームワークがとても大事で、仕事が終わるまで全員が帰らないとか、毎晩のようにみんなで食事に行く、ということも当たり前でした。週に80時間ぐらい残業していましたから、月の残業時間は200時間を超えていたと思います。不思議と辛いという感覚はなく、むしろ充実感すら感じていました。当然のことながらプライベートでは多くのことを犠牲にしていました。今思えばおかしな話です。「俺が若いころは…」的な発言はありえないわけで、今の若い世代には豊かな生活を送りつつ、効果的な研修を受けて、立派な医師として大成して欲しいものです。そのためにはどうすればいいのか。強制的に休ませる仕組みが必要でしょう。職場に来てはいけないという仕組みです。どうしたって医師は気になる患者のもとに行きたくなる。外科医であれば前日に手術した患者の容体は気になる。それでもあえて来てはいけない、というルールが必要になるし、そのようにしなければ実現できないのが、医師の働き方改革なのです。

もう一つの問題は、労働と自己研鑽の境界の問題です。医師としての知識やスキルを高めるための勉強や自発的な研究活動は自己研鑽に位置付けられ、労働時間にはカウントされません。しかし、翌日の手術のための手術手技の勉強や、担当患者の治療のため医学書を読み込むことは労働なのか、それとも自己研鑽なのか。上司の指示で学会発表を行うにあたり、その発表の準備を自宅で個人のPCで行うことも一般的ですが、それは労働時間なのでしょうか。そもそも専門医取得などのための勉強や書類の準備は、労働時間ではないといえるのでしょうか。安全で質の高い医療を提供する上で、医師の研鑽はとても重要であり、個人の趣味ではなく、病院にとって必要な医師の活動です。強制性はありませんが、専門医の取得状況は病院のホームページで公開されており労働性がありそうです。そのような従来研鑽と位置付けられた時間も確保しつつ、労働法に規定された残業時間の規制を守ることは容易ではありません。

さらに大きな問題は医師の応召義務です。医師法19条は「診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」と定めており、医師は法で労働を拒んではいけないと規定されているのです。「正当な事由」に残業時間の上限を超えている、が含まれるかどうかわかりませんが、救急外来を受診した患者さんに対して、「当院の医師は残業時間の制限を超えているのでお帰り下さい」というのはやはり問題でしょう。地方で大きな病院が一つしかないような場合は深刻な問題となりかねません。また法的義務でなくとも、患者さんとご家族への病状説明で、日中は病院に行けないので夜にして欲しいと求められることもあり、患者サービスを重視すると労働時間は長くなってしまいがちです。

いずれにしても、労働時間を議論する上で、出退勤管理は重要です。私の職場でも、ICカードによる医師の出退勤管理が始まりました。これで、職場(病院)にいる時間はある程度把握できますが、前述のように病院で自己研鑽している時間も含まれるので、臨床業務を行っている時間として、電子カルテへのアクセスログを調べるということも行われているようです。しかし、電子カルテを使用しない臨床業務(手術など)もあり、感度は低いように思います。しかし特異度は高いので、自己研鑽で病院にいるときには電子カルテは開かないように、という通達が出てしまいます。その他、臨床業務以外ですと、メールの送信歴や文書ファイルの作成履歴なども電子的に確認可能な労働時間推定の材料になるとは思いますが、過労死裁判の証拠集めは別として、日常的な勤務時間の管理には不向きでしょう。つまり意図的なサービス残業隠しにデジタル・フォレンジックをすることはなかなか難しそうで、最終的には防犯カメラの解析など、アナログに頼らなければならないかも知れません。

労働時間を規則だけで縛っても、従前のように網の目をかいくぐるようなことになりかねないので、やはり職場の意識や文化を変えていく必要がありそうです。トップのリーダーシップが重要であることは言うまでもありません。我々のトップは、若いドクターに休みの日に患者さんを見に来ることを禁止しました。従来の医師の価値観の真逆なわけです。ここまでしないと、医師の働き方改革は進まないように思います。

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