第662号コラム:伊藤 一泰 理事(一般社団法人日本野菜協会 アドバイザー)
題:「東京2020セキュリティ懸念」

昭和39年の秋、私は秋田県北部の小さな町に住んでいました。小学校5年生でした。アジアで初のオリンピック開催に日本中が沸き立っていました。私は、学校から友達と連れ立って、聖火リレーを見に行きました。まだ砂利道だった国道7号には、聖火を一目見ようと、多くの見物人が集まっていました。しばらくすると、青森県側からトーチを掲げた中年のランナーが走ってきました。少々くたびれた男性ランナーでした。最終ランナーの坂井義則さんのように若々しく格好良いランナーではありませんでしたが、「勇気と感動」「夢と希望」という言葉がぴったりのシーンでした。

当時は、日本が高度成長期の真っ只中にいた時期です。東海道新幹線、首都高速道路、東名高速道路などの交通網の整備が進み、我々の生活面でも、テレビ、洗濯機、冷蔵庫の家電製品が「三種の神器」と呼ばれ、急速に普及していった時期でした。それに比べ、東京2020の状況は厳しいものがあります。7月23日の開会式まで残り3か月となった今、本当に開催できるのか不安がよぎります。

第一の懸念は、新型コロナウィルスの蔓延です。従来型より感染力が強い変異株が広がってきて、抑え込むのがさらに困難な状況になっています。感染収束に向けたロードマップが不明確なまま、時間だけが無駄に経過してしまいました。効果が期待されたワクチン接種も諸外国に比べ大きく出遅れています。ワクチンに対する政策の脆弱さや国内での開発・製造・治験の遅れが響いているようです。医療従事者(480万人)にさえ十分にワクチン摂取できていない現状で、後手後手となった国の政策や自治体の対応に不満が噴出しています。第4波が到来し、病床のひっ迫や医療従事者の不足がさらに危機的な状況になってきました。三度目の緊急事態宣言の可能性も浮上している現在、小中高校・大学に対し部活の中止を要請する一方で、聖火リレーを継続することには違和感を覚えます。

去年、安倍前総理は、東京2020について「新型コロナウィルス感染症を人類が克服した証として開催したい」と強調していました。1年延期となった現在、「克服」という言葉は遥か遠くに感じられます。一方で、厚生労働省老健局の23人での大宴会や菅総理の側近である坂井官房副長官のグループ議員13人での会食など、感染症対策を担っている人々でさえ「緩み」が生じている現状です。自民党の二階俊博幹事長は、4月15日のテレビ番組において「これ以上とても無理だということだったら、スパッとやめなきゃいけない」旨の発言をして、感染状況次第では開催中止もありうるとの考えを示しました。東京2020閉幕後の9~10月の衆院解散・総選挙が予想される中、なんとしても東京2020を成功させたいとの政治状況を睨んだ観測気球であり、菅総理をはじめ関係者に叱咤激励した(エールを送った)との見方がありますが何とも分かりにくい発言です。

第二の懸念は、経済財政問題です。東京2020の開催に係る契約は、費用負担を組織委員会と東京都に義務付けています。実際問題として、今後顕在化するであろう追加費用は都が公債発行で負担するしかない状況です。新型コロナウィルス感染症対策のために、国も東京都も貯金を使い果たしてしまっています。取りうる手段は、当面は国債・公債の発行で凌ぐとしても、抜本的には増税するしかないと思います。民間でも経営不振から赤字に転落する企業が増えています。法人税の税収減を補うためには消費税の増税に頼るしかありません。

前回の東京オリンピック直後、日本経済は急降下しました。「昭和40年不況(証券不況)」と言われています。当時の田中角栄大蔵大臣の鶴の一声で、山一証券への日銀特融(無担保・無制限)が実行されたことが思い起こされます。今回の東京2020が終わった後に大きなツケが回ってくることが予想されます。

第三の懸念は自然災害です。もし開催期間中に首都直下型地震が発生すれば、想定を超える被害が出る可能性があります。日本人だけではなく海外からの参加者もいます。東京2020の選手人数は、オリンピックが33競技・339種目で約1万1000人、パラリンピックが22競技・539種目で約4400人となり、選手だけで1万5000人にのぼります。加えて、監督・コーチやトレーナーなどの競技関係者や報道関係者、ボランティアなどを含めた海外の人々に対して、感染症対策をしつつ安全に避難させることができるのか、甚だ不安です。開催場所は首都圏を中心に9都道府県42会場になりますが、すべて完全に対策ができているのか懸念があります。

東日本大震災からちょうど10年となりましたが、あの大災害から何を学んだのか、未来に向けた政策の方向性が見え辛くなってきたように思います。そもそも国においては,東京2020を「震災復興五輪」として位置づけ「東日本大震災からの復興の後押しとなるよう被災地と連携した取組を進めるとともに、被災地が復興を成し遂げつつある姿を世界に発信する」(注1)と説明した経緯があります。ところが、福島の被災地では「五輪どころではない」との声が上がっています。福島第一原発から出されたトリチウム汚染水問題など、未だどうしたらいいのかさっぱりわからない状態で聖火リレーは福島からスタートしました。

また、7月は、台風災害の多い時期でもあります。最近では「令和2年7月豪雨」による土砂災害もありました。過去、7月に発生した台風の数は、最多8個ですが、2017年7月2日に発生した台風3号は九州に上陸し、「平成29年7月九州北部豪雨」として大きな被害をもたらしました。今年も既に台風2号が発生し沖縄方面に向かっているようです。

第四の懸念は物理的テロです。最近鳴りを潜めている国内のテロですが、中国との尖閣諸島をめぐる争いや、北朝鮮のミサイル発射など、近隣諸国との軋轢や国際政治リスクの増大も懸念されています。とりわけ米中関係の緊張の高まりには危惧せざるを得ません。香港・新疆ウイグル自治区の人権問題、加えて台湾海峡の緊迫化などが今後急展開しないとも限りません。

最後になりましたが、最も起こりうるリスクは東京2020を標的としたサイバー攻撃リスクです。これについては、デジタル・フォレンジック・コミュニティ2019において、坂明氏による講演「2020を取り巻くサイバー脅威の状況と対応」(注2)で詳しいご説明があり、皆様のご記憶に残っていると思います。ただ、あの時はまだコロナ禍の前でした。関係者のご努力により、更にバージョンアップされた対策が講じられていることと思いますが、敵もさるもの、対策の裏を掻いてくる恐れが拭えません。特に重要インフラに対するサイバー攻撃が懸念されます。原子力施設のサイバーテロ対策は十分と言えるのかどうか、つい最近も、イランの核施設に対するイスラエルのサイバー攻撃がニュースとなりました。

残り3か月は開催直前の総点検の期間であり、国、組織委員会、東京都をはじめ関係機関が総力を挙げて不備事項や未確定事項をチェックし、問題があれば直ちに補完するための措置を講ずる必要があります。残された時間は短く、エアポケットはないのか国民各層においても、最終チェックをすべき時期だと思います。

(注1)2015 年 11 月 27 日閣議決定
「2020年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会の準備及び運営に関する施策の推進を図るための基本方針」
(注2)第16回デジタル・フォレンジック・コミュニティ2019 in TOKYO 報告書P131~P150

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