第697号コラム:安冨 潔 理事・顧問(慶應義塾大学 名誉教授・弁護士)
題:「『フェイクとの闘いー暗号学者が見た大戦からコロナ禍まで』に寄せて」

デジタル・フォレンジックは、いまでは、さまざまな分野で知られるようになりましたが、特定非営利活動法人デジタル・フォレンジック研究会(以下「IDF」といいます。)が設立された2004(平成16)年当時、デジタル・フォレンジックのことはほとんど知られていませんでした。

しかし、IDFの創設者で、初代会長を7年にわたって務められた辻井重男先生(現理事兼顧問)は、先見的に、デジタル・フォレンジックがこれからの時代に重要な分野となると考えられて、自然科学と社会科学等さまざまな分野の専門家とともにデジタル・フォレンジックの普及・啓発に挑まれました。そして、今日では、警察や検察の犯罪捜査だけでなく、企業の不祥事での調査をはじめとして、幅広くデジタル・フォレンジックが用いられるようになり、デジタル・フォレンジックは情報社会の安全な社会的基盤の一翼を担うまでになりました。

今般、辻井先生が、自伝的回顧を含めた「理念と現実の相克」への思索を『フェイクとの闘いー暗号学者が見た大戦からコロナ禍まで』に著されて上梓されました。

本書は、本編216頁ですが、総合的、長期的そして大局的に物事を見るという辻井先生の経験と思考とが織り交ぜられた奥深い内容だけに、ぜひお読みいただきたいと思っています。

ここで本書の詳細をご紹介することはできませんが、辻井先生への学恩を心にきざみ、法曹に身を置くものとして心得違いをおそれずに若干の感想をのべさせていただくことをお赦しいただきたく存じます。

本書は、
第1章 太平洋戦争をはさんで――暗号学者の小さな履歴書Ⅰ
第2章 戦時中の文化人の現実認識
対話篇1 天国からの恩師のご下問に応えて――楕円曲線暗号から情報セキュリティ総合科学まで
第3章 サイバーセキュリティをめぐる活動――暗号学者の小さな履歴書Ⅱ
第4章 情報社会のセキュリティと倫理の課題
対話篇2 天国からの恩師のご下問に応えて――デジタル社会基盤としての暗号について
第5章 サイバーセキュリティの未来
資料
で、構成されています。

「暗号学者の小さな履歴書Ⅰ及びⅡ」(第1章・第3章)では、1933年に京都でこの世に生をうけ、戦前・戦中・戦後の混乱期に京都から東京に移られ多感な時期を過ごされ、その後進学された東京工業大学で電子工学を専攻されて、社会人として民間企業での研究職を経て大学での研究者として歩んでこられた体験が史実をふまえてその時々の思いをおりまぜて書き綴られています。

大学を卒業されて、民間企業に就職されて、研究所でのご研究では、1960年代アナログからデジタルへの変換期が訪れようとしていだときに、いまのカラーテレビ時代を予測?した標本化周波数に関する業績で特許を取得されています。辻井先生の研究成果が時代を前進させたことはいうまでもありません。

辻井先生が暗号研究の第一人者であることは周知のことですが、暗号研究だけにとどまらない人文科学や社会科学にも精通した総合的な視点でのこれまでのさまざまなご経験は、「対話編1 天国からの恩師のご下問に応えてー楕円曲線暗号から情報セキュリティ総合科学までー」に対話形式で語られています。

デジタル・フォレンジックについても、「デジタル・フォレンジック研究会(IDF)として」(125~127頁)触れられています。そのなかで「真贋の判定こそを、個体から文化層まで貫く理念とすべきである。これはソサエティー5.0社会の基軸とすべき理念であるが、デジタル フォレンジック研究会(IDF)でもフェイクニュースへの対応に至るところまで話題になっている ここでもまた暗号技術が真贋判定というフェイクとの戦いに役立っているのである。」と指摘されています。これからのデジタル・フォレンジックの役割と課題についての本質に迫るご提言を含んだものと思います。

「戦時中の文化人・作家たちの現実認識を問う」では、太平洋戦争中の文化人・思想家・作家たちの戦争賛美に傾いた活動を批判的に論じておられます。

その時代の現実を自己が研鑽し身につけた教養から広く見通す目をもつことが世論をリードする人には求められるという指摘(76頁)は、世論をリードする人にとどまらず、社会的に影響する場面で発言するときに心すべきことではないでしょうか。

もっとも、当時は、今日のようにさまざまな情報が瞬時に地球的規模で利用できる環境にはなかったので、おのずから現状認識には制約があったことは否めません。また、自由な言論活動が制約された時代でもあります。しかし、今日の社会は、情報通信の高度な利用により、距離・時間の制約を取り払い、現実社会を超えたあらたな領域としてのサイバー社会が構築された社会ですが、それだけに現実認識について複層的・立体的なアプローチが求められるのではないでしょうか。

「情報社会のセキュリティと倫理の課題」(第4章)では、情報セキュリティ文化とは何かを考察することから書き起こされます。まず、情報セキュリティとは、技術、経営管理手法、 法制度、 情報倫理・心理などを相互に深く連携させ、それらの相乗効果により、自由の拡大(利便性・効率性の向上)、公共性・安全性の向上、個人の権利・プライバシーの保護と言う、 互いに相反しがちな三つの価値を可能な限り同時に達成するための基盤的プロセスである、と定義されます。そして、辻井先生は、自由・安全・プライバシー保護という三つの矛盾相克する価値の両立・三立させることが情報セキュリティの目的であり、これらの価値を総合し、相乗効果を期待できる対策をたて、止揚させ、定常的プロセスとして実行することが情報セキュリティの理念と考えられるのです。

このことは、①電子投票・アンケートシステムにおける匿名性の保証と不正防止の両立、②個人情報漏泄と過剰反応への止揚的対策、③情報漏泄の際の情報公開の是非とタイミング、④監視における不快感の解決策という重要な課題について具体的に論じられています。

このような考察と提言をふまえて、著名な哲学者らの思想を紹介しながら、必要とされる「情報倫理」について展開されています。

辻井先生によれば、情報倫理の特質は、一般に積極的責任、個人責任と社会責任の直結性、グローバル性、価値対立状況下でのジレンマ解決能力など、高いレベルの能動的倫理が求められる点にあるとみているとされます。

この指摘は、学問領域を超えた諸価値・諸原則を存分に理解され、それらの知見をお持ちの辻井先生ならではこその視点といえるでしょう。

「サイバーセキュリティの未来」(第5章)では、「情報社会のセキュリティと倫理の課題」で思惟されたことをふまえて、コロナ禍の社会情勢を視野にいれた現実と理念の分析がなされます。

その視点は、①自由の拡大、②公共的安心・安全、③個人の権利・プライバシーの確保をソサエティー5.0時代の理念として捉え、これらの相克を今の時代にいかに解消し、新たな社会像を構築するかを模索し、理念の現実化を実現する途に灯がともることを語りかけられています。

辻井先生は、IDFのコラム(第336号2014年10月30日:資料62頁)でも論じておられましたが、Management(管理・経営)、Ethnics(倫理・道徳、行動規範)、Law(法制度・標準)、and Technology(技術)というMELTの総合連携(止揚)により、自由、公共性、個人の権利・プライバシーを高度に均衡させることを図ることを通じて学際的かつ総合的視点から、理念による現実の最適化をさぐることを提唱されています。M・E・L・Tにはそれぞれの分野での課題もありますが、それら諸課題を超越してMELTを総合連携することにより、理念による現実の最適化がもたらされ、ますます高度化・複雑化するサイバー社会の安全を希求することにつながっていくのではと思われます。

本書は、「フェイクとの闘いー暗号学者が見た大戦からコロナ禍まで」と題されています。辻井先生からご恵贈いただきタイトルを拝見したとき思わず「ドキ!」っといたしました。本題もさることながら副題もこれだけを拝見するとあまりに斬新すぎて蟷螂の斧を怒らして権勢に阿る社会に挑む賢者の風姿を思い浮かべてしまいました。

しかし、拝読してみると決してそうではありませんでした。

人々が幸せになるための普遍的な価値観・理念をひとびとが共有できるのかという本質的な課題を、情報化社会を回顧的・展望的に大局的な見地から、さまざまな成果の集大成として提言されたものでした。

サイバーセキュリティの未来も、現実社会及び仮想社会との立体構造において、情報セキュリティの担い手である人(個人・法人)が、社会構成員の共同生活のために必要不可欠な条件は何かを検討し、それぞれがいかなる役割を果たすべきかを考えることがこれからいっそう求められていくのではないでしょうか。

最後になりますが、辻井先生は、本年、米寿を迎えられました。IDFの理事会や研究会でこれまでと変わらぬお姿を拝見いたし、多くを学ばせていただいています。これからも辻井先生の「フェイクとの闘い」は続くと思います。

【著作権は、安冨氏に属します】