第802号コラム:湯淺 墾道 IDF副会長(明治大学 公共政策大学院 ガバナンス研究科 教授)
題:「ディープフェイクと選挙運動」

 2023年の話題の一つは、生成系AIであった。
 生成系AIは、ディープフェイク(動画像等を実在の動画像から変造したり、新規に偽造したりして、あたかも事実であるかのように流通させるもの)にも影響を与えている。ディープフェイクが問題視されるようになってきたのはこの数年のことであるが、生成系AIの普及によって、問題はさらに深刻になった。生成系AIを利用することにより、巧妙なディープフェイクを特別な環境を用意することなく作成できるようになったからである。
 現在問題となっているディープフェイクの使途としては、ポルノ、世論誘導や選挙干渉、ロマンス詐欺などを挙げることができる。その中でも、各国において民主主義自体への脅威となるものとされているのが、世論誘導や選挙干渉への利用である。
 フェイクニュースやディープフェイクの世論誘導や選挙干渉への利用は、アメリカの大統領選挙と共に世間の注目を集めるようになってきたといっても過言ではない。ケンブリッジ・アナリティカというデータ分析会社がソーシャルネットワーキングサービスのFacebookから違法に入手したデータを用いて世論を誘導し介入しようとしたのが、2016年大統領選である。新型コロナウイルス感染症の影響により全米で郵便投票や電子投票が活用され、バイデン候補に敗れたことに対して、現職大統領のトランプ候補やその支持者がことごとく「フェイク」と主張したのは2020年大統領選である。そして、来年には2024年大統領選が控えている。
 早くも、各種のSNSや動画共有サイト上では大統領選挙に関連する多くのディープフェイクが流通している。その中でも、2023年4月に共和党全国委員会が「Beat Biden」と題してYoutube上で公開した動画が話題となっている。この動画は、バイデン大統領の再選を阻止するため、バイデン大統領が再選されるといかにアメリカ社会に悪影響が生じるかということを訴えるものであるが、その中で登場するバイデン大統領やハリス副大統領の動画像はすべて人為的に生成されたもので、ディープフェイクなのである。動画は次のURLから視聴できる。
https://www.youtube.com/watch?v=kLMMxgtxQ1Y
 また共和党内部での大統領候補指名をめぐって、フロリダ州のデサンティス知事は、トランプ前大統領を批判する動画をX(Twitter)に投稿したが、その中では生成されたトランプ前大統領の動画の場面が含まれていた。この動画は、トランプ前大統領の就任前のテレビ番組では「You are fired!(お前はクビだ)」というフレーズが有名になっていたのに、大統領になった後は、新型コロナウイルス対策をめぐってホワイトハウスと対立したアンソニー・ファウチ国立アレルギー感染症研究所所長の更迭を渋り、逆に選挙運動用ビデオの中でファウチが「これ以上のことをできる人がいるとは思えない」とファウチ所長がトランプを礼賛する場面を流したという言行不一致を皮肉ったものである。
https://twitter.com/DeSantisWarRoom/status/1665799058303188992
 アメリカの選挙ではもともとネガティブキャンペーンが行われることは特に珍しくないので、従来のネガティブキャンペーンの延長線上にすぎないとみることも可能ではあるが、従来のネガティブキャンペーンは少なくとも実際の場面を撮影した動画を編集して利用するものであり、実際には存在しない場面を自由に新規に作り出してあたかも実際の場面の動画であるかのように利用できるという点では、従来のネガティブキャンペーンとは異なっている。
 一方で日本の公職選挙法の規定をみると、インターネット広告規制、ポスター規制、ビラ規制、選挙カー規制、映写物規制など、選挙運動や政治活動の場所や態様、使用する道具や機器類についてはさまざまな規制が存在するものの、表現の内容の事実性・真実性についての具体的な規制はほとんど存在しない。虚偽事項の公表罪(公職選挙法第235条第2項)が規定されているほかは、選挙に関するインターネット等の適正な利用(公職選挙法第142条の7)が努力義務として定められている程度である。実際に、選挙運動用のポスター用に顔写真を修正して使うことは半ば常識であろうし、筆者の住む地域でも、ある候補者が毎回あまりにも若々しく修正したものを使うので、失笑を買っていたものであった。
このように考えると、選挙運動におけるディープフェイクを禁じることは、簡単ではないことが理解される。表現内容それ自体に規制を加えることには慎重であるべきであり、「修正」と「偽造・変造」との間に一線を引くことも難しいからである。
 また、個人情報保護やプライバシー保護も、この問題をさらに複雑にしている。真実、事実性の追求という点では、画像や動画像は、一部を切り出すということはあるとしても、内容には極力手を加えないことが望ましいと考えられる。しかし近年、テレビの報道雁文やニュース番組でも、街頭で撮影した画面などで周囲に写っている人や建物等にモザイクやマスクをかけることが増えている。視聴者から、同意なく撮影された、同意なく放映されたという苦情が寄せられることが増えているためだという。そうすると、実際の場面で撮影されたものなのか、変造・偽造されたものなのかを判断することはますます難しくなってしまう。
 今後、大統領選の予備選や本選挙の投票日が近づいてくるにしたがって、アメリカ国内ではディープフェイクの選挙運動への利用の可否の議論が活発になってくると予想される。アメリカの選挙運動やその規制は、各国にも大きな影響を与えるので、ディープフェイクについてもその行方を注視する必要があるだろう。

【著作権は、湯淺氏に属します】