第805号コラム:舟橋 信 理事(株式会社FRONTEO 取締役)
題:「災害時に信頼できるリーダー」

 能登半島地震発生から2週間経過したが、住民避難や生活支援、ライフラインの復旧等に困難な状況にあることが報道されている。ニュース映像で見る限り、避難所の設備等も過去の教訓が生かされているとも思えない状況であり、1月16日には、首相が非常災害対策本部において、被災者のホテル等への2次避難の促進を指示しているのが実情である。

 2次避難におけるリーダーの意思決定に関して、20年前の新潟県中越地震の際に旧山古志村における全村避難にかかわった村長や新潟県警機動隊長、陸上自衛隊第30普通科連隊隊長等にインタビューした記録を基に、その経過をご参考に供することとしたい。

同村は、新潟県中越地震において震度6強を記録した。最初の地震とその後の余震により、山肌が崩落し、道路は各所で崩れ落ち、村外への道路は全て途絶した。加えて電力ケーブル及び通信ケーブルの断線、村内2箇所の携帯電話基地局の空中線倒壊により通信も途絶し、全村が孤立状態に陥った。村内の道路も寸断され14の集落もそれぞれ孤立状態となった。

 村長は、地震発災直後に村役場に向かおうとしたところ、道路が各所で寸断されて通行できないため、カーラジオにより情報収集を行っていたところ、放送では山古志村の名前が挙がらず、同村の壊滅的被害状況が外部に伝わっていないことを不安に思い、携帯電話の通じる場所を探して2時間後に和島村の村長と連絡が取れ、県庁へ同村が壊滅的被害を受けたことを伝えるよう依頼した。県庁には、23時頃に伝えられた。
 村長は、村民が住家の被害と余震の頻発により、23日夜から屋外で過ごし野宿していたことなどから、24日の夜が野宿の限界と判断して、同日13時頃、全村避難を決断した。村民の避難に先立って、同日8時30分頃からヘリコプターにより負傷者及び要援護者の救出が行われた。
 24日昼過ぎまでに、ヘリコプターにより、新潟県警察機動隊長、関東管区警察局新潟県情報通信部機動警察通信隊員、陸上自衛隊第30普通科連隊長等が山古志中学校グランドに降り立った。村長は、全村避難に当たって機動隊長及び連隊長に協力を要請した。機動警察通信隊員が2台の衛星携帯電話を搬入したことにより、村長は地震発災後初めて外部との電話連絡が可能となり、新潟県庁危機管理防災課と避難先確保の交渉に当たることができた。また連隊長は、県庁対策本部に入った第12旅団長に状況報告を行い、第30普通科連隊に対して本隊の出動を指示した。山古志中学校グランドは、馬の背上の土地にあり、グランドには亀裂が入り、その端は崩落して、全体が崩落の危険性があったが、大型ヘリコプター1機又は中型2機が着陸できることから、ヘリポートとして使用することとし、15時30分頃から陸上自衛隊のヘリコプターを主体に、中学校、小学校に集まってきた避難者の救出活動が開始された。17時頃には小学校・中学校周辺の避難者の救出が終了し、ヘリコプターは帰投した。18時頃、救出を期待して小学校に避難者が集まって来ており、パニック寸前との情報が入ったことから、村長の依頼により夜間飛行は危険が伴い、操縦士も疲労しているなか、23時30分頃まで救出活動が行われた。当日は、約300名の避難者の搬送が行われた。
 翌25日は、早朝から、集落毎に陸上自衛隊、航空自衛隊、警察、消防及び海上保安庁のヘリコプターにより、前日の救出者数を含め1,884人が搬送され、長岡市内の県立高校体育館等に収容された。地震発災翌々日の10月25日15時頃には全村民の避難が終了し、自衛隊員により残留者の有無の確認作業を18時30分に終え、救出開始から26時間で全村避難が完了した。

 山古志村においては、自治体、警察及び自衛隊の責任者が現場に臨場していたこと、被害の甚大さを目の前にして連帯感が醸成されていたことなどから、迅速に意思決定や交渉が行える環境が整っていた。
 連隊長の発案で、山古志中学校グランドに自衛隊が張ったテント内において、24日0時過ぎに「段取り会議」 が開催され、各機関の役割及び保有するヘリコプターの特性を生かした作業区割り、作業区ごとの避難順序の決定が迅速に行われ、情報共有及び指揮系統の統一が図られたことにより、ほぼ1日で全村避難が完了した。
 現地での段取り会議の結果を受けて、多数のヘリコプターを安全に運行するため、県庁災害対策本部において、陸上自衛隊、航空自衛隊、消防、警察及び第9管区海上保安本部による調整会議が開催され、航空路の設定について協議するとともに、航空機の活用調整及び情報共有が行われた。
 陸上自衛隊は野外用航空管制装置を小千谷市内に設置し、避難者の安全な空輸に配慮した。また、報道関係者の取材ヘリコプターの接近時に注意を喚起するため、新潟県警のヘリコプターが航空路上空において警戒監視に当たるなど、ヘリコプターによる避難を円滑に進めるため安全対策が実施された。

 災害発生直後の衝撃期の対応は、一つの機関が、自己完結的に対処できるものではない。関連機関は、役割、能力及び保有する資機材等に応じて連携し、迅速的確に対処することが求められている。危機管理は、制度を創設し、計画を策定して終わりではなく、政府から国民一人ひとりに至るまで、共通の認識の基に行動できる社会体制を構築することが肝要である。

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