第165号コラム:須川 賢洋 理事(新潟大学大学院 現代社会文化研究科・法学部 助教)
題:「震災後雑感~中越地震の教訓も踏まえて~」

前回の伊藤氏に続いて、私も少し地震に関する雑感を述べてみたい。今回の未曾有の大災害に関しては、既にいろいろな所で様々なことが語られているので、私の意見は、その中でまだあまり述べられていない、ニッチな事をいくつか箇条書き的に挙げさせてもらうことにする。

今回の震災の対応に対して、私なりに一言でまとめるとすれば、「阪神淡路大震災、そして中越地震での経験や教訓が、活かされた点と活かされなかった点が半分半分くらい」ということになるであろう。今でも誤解されていることが多いのだが、中越地震の際、筆者の住む新潟市は実は幸いにも被害を殆ど受けていない。その為、被災地の隣接地区の住人として、多くの災害救援活動を身近で見ることができ、またその際にいくつかの随想も書かせていただいた。その当時に述べた意見を振り返りながら、今回の文章を起草している。

今度の地震で先の中越地震の経験がもっとも活かされたとするならば、これは結果論でしかないのだが、たまたま被災地に隣接した無傷だった都市が同じだった点にある。つまり、中越地震の際にその救援活動の基地となったのは新潟県の下越地区(新潟市など)、山形県、群馬県などの周辺の都市である。これは今回の地震でもあまり被害を受けなかった周辺都市と一致する。結果、多くの災害救援活動のノウハウをもつ自治体が今回もそのまま真っ先に支援の手を差し伸べることができた。同時に被災地に入る前の物資・人員の事前集合準備基地としての機能を果たした。自治体や、ガス・水道・電気・通信といったインフラ提供企業が災害時の支援対策をマニュアル化しだしたのは、中越地震の後からであり、経験を基にそれを作成した人員が被災地に直接入って支援やアドバイスを行った成果は大きかったと言える。

特に、中越地震の際に(尊い犠牲者を出して)貴重な経験を得た、避難民にエコノミークラス症候群が発生するという問題に関しては、新潟県内の多くの医療関係者が現地に直接行って予防の為のアドバイスをしている。また、地方のラジオ局などの支援や交流もあまり取り上げられていないが、多大な貢献が
ある。被災地においてラジオが重要な情報源になることは言うまでもないが、災害時にどのような情報を提供すべきかは(むしろどのような情報が望まれるか、というべきかもしれないが)、刻一刻と変化するもので、12時間以内、24時間後、2日後、3日後ではまったく違う種類の情報を提供する必要がある。
またこういった際にはデマ情報が発生し、それを電波メディアを使って打ち消す必要があることも過去の震災で経験済みなことである。新潟のコミュニティFM局などが、かつての経験でそのようなノウハウを提供し、また被災地に臨時放送局を作るための技術支援などを行っている。

では反面、過去の経験や警鐘が活かしきれていないことにはどのようなものがあるだろうか。これも警鐘はあったが、結局、経験してみて始めて分かったことになるのかもしれないが、平日のオフィスタイム(スクールタイム)に起きた地震であること自体にはあまり注目が行っていない。関東大震災、阪神、中越、どれも土日や早朝に起きており、いつかは起こるであろうと言われていた平日地震がついに来てしまったといえる。実は中越地震の際にも、小中学校の関係者から「これがもし授業中に起きていたら…」という声が聞かれた。これは「どう避難すれば良いか分からない」という意味でなく、「被災後にどのように保護者に子供を引き渡せば良いか分からない」「そもそも子供を引き取りに来てもらえるのであろうか?」という意味である。くしくも、この問題は被災地だけでなく、帰宅難民が大量に発生した首都圏でも起きてしまった。共働き世帯の増加、プライバシー意識の増加に伴う本人(身内)確認の徹底化などは、こういった時には足枷になるようである。最近のセキュリティ意識の高まりは「BCP」などが持てはやされ、企業活動などにばかり目が行きがちであるが、やはり児童のような弱者対策を優先させるべきであろう。BCPは自治体や病院、インフラ提供企業のみに必要なものであって、人の生命に直接関係のないところには必要がないと言える。そういった所にまでBCP云々を唱えるのは、かつての個人情報保護法やJ-SOXに便乗したあやかり商法に思えてならない。業務の継続よりも直ぐに帰宅を勧めるほうが本来のあるべき形なのではないだろうか。筆者が未だに理解できないのが、なぜ、あの日、日本の企業は通常どおり17時まで業務を行ったのか、なぜ翌週1週間くらい、日本中(せめて東日本半分)を特別休日としなかったのかということである。繰り返すが、災害時は人命に影響のない組織はすべて活動を休止し、救助活動にすべてのエネルギーをつぎ込むべきである。

もう一点、中越地震の際に言われながらも、未だにあまり重要視されていない問題を挙げておこう。それは出張者や旅行者などの遠隔地から来ている被災者の問題である。今回も帰宅難民問題があらためて深刻視されたが、被災地には、たまたまその土地を訪れていたその場所に不慣れな人も大勢いる可能性があることを忘れてはならない。そしてその彼らは、日本語が分からないこともあるということも。これは仮に首都直下型地震が起きた際の東京でも同じことがいえる。たしかに東京では10時間以上歩かないと帰れない人も大勢いるかもしれないが、それと同じ位に、多くの出張ビジネスマンや観光客もいる。かく言う筆者も地震発生日に東京に居て、結果、2日間新潟に戻れずに足止めをくらった。この問題も中越地震の際に、温泉観光地などで問題が顕著化したのだが、未だに全国どこへ行っても、災害時のよそ者(?)対策までは手が回っていない。地区外から来た訪問者には「この地区の緊急避難先は神宮球場です」と言われても、それがどこにあるのか分からない。ましてやそれが外国人であったなら尚更である。日本全国で、産業誘致や観光で国の内外から人を呼び込もうということをやっているが、それを行う際にも「もしも」への備えを一緒に計画することを忘れてはならないであろう。

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