第233号コラム:町村 泰貴 理事(北海道大学大学院 法学研究科 教授)
題:「e-filingを実現する上での課題」

 我が国においてはオンライン申立てを可能とする規則が法律および裁判所規則に用意されている。民事訴訟法132条の10に規定されたのみならず、来年1月1日から施行される新しい非訟事件手続法42条および家事事件手続法38条でも、上記の民訴法の規定を準用して、オンライン申立てを可能にしている。
 しかし、実際には、督促手続を除けば、ほとんど利用されていない。オンライン申立て・送達の活用は、記録のデジタル化も含め、メリットが大きい反面、従来の実務を大きく変更する可能性を秘めており、メリットを活かすために克服すべき課題も多い。

 民事訴訟に限らず、より広くデジタル技術の訴訟手続への応用という観点からは、指宿信教授を中心とする研究グループ「司法制度改革と先端テクノロジィ」研究会(http://www.legaltech.jp)が活発な研究活動を行い、その成果は法律時報76巻3号(2004年)に『情報技術と司法制度改革:正義へのユビキタス・アクセスとIT革命』と題する特集にまとめられていた。
 この研究グループには筆者も一部参加し、2009年には「eサポート裁判の可能性 -民事訴訟の電子化を中心に-」と題するシンポジウムをコーディネートした。その成果は上記研究会のウェブサイトに掲載されている。
 この研究グループでは、デジタル技術やオンライン技術が裁判制度に応用されることにより、単に既存の訴訟が進化して効率的になるというだけではなく、利用者に優しい訴訟制度に変わっていくことが出来るのではないか、という基本的な見方を追求していた。法的なトラブルは誰の身にも降りかかることがある。しかしそれを法的な問題と認識して、正しい対処をするには、その段階で既にサポートが必要となる。そのサポートをデジタル・オンライン技術を活用することで、例えば健康診断と統合した相談窓口で法的問題の相談も可能となれば、リーチが飛躍的に充実するのではないか、お年寄りや地方在住の人々にもそれなりのリーガルサポートが可能になるのではないか、そのような問題意識で、eサポートという概念を提唱したのである。
 しかし、現状ではそのはるか手前で、オンライン申立てすら実用化されない段階にある。

 これに対して裁判以外の行政手続では、電子申請システムが導入され、活用されている。
 また海外の多くの諸国では、裁判手続に情報ネットワークを用いたオンライン申立て・送達が既に導入されており、これに伴って紙媒体ではなくデジタル情報による事件記録の保存と活用が行われている。例えばアメリカでは、連邦裁判所が破産手続について義務的にe-filingを取り入れたほか、多くの地裁・高裁でも利用が始まっている。また州裁判所についても、各州裁判所が個別に努力するのみならず、州裁判所の全米組織がe-filingの導入に必要なスキルの教育について継続的に活動しており、e-filingの活用に障害となる問題とその克服方法についてはまとまった研究がある。フランスでも、オンライン申立てのルールが民事訴訟法典にできたところまでは我が国と同様だが、それにはとどまらない。フランスの弁護士会全国組織を中心として、オンライン申立てのための基盤が用意され、その活用のためのサービスも全国組織が行なっている。オンライン技術の民事裁判への導入は、少なくとも諸外国では技術的にも実務的にも定着しつつあるといっても過言ではない。

 そこで、日本の民事裁判におけるe-filingがなぜ実用化されないのか、その理由を考える必要がある。さしあたり、技術面、ルール面、心理面の課題が指摘できる。

 民事手続に情報ネットワークを用いた情報の送受信を取り入れるということは、単に送受信に必要な出入力装置とネットワークを構築すれば足りるという問題ではない。紙媒体書面の作成交換を中心とする手続のあり方をデジタル情報の作成交換に置き換えることが必要となり、それによってはじめてデータ蓄積及び利用面でのメリットを享受できる。
 そのためには、メリットを最大化するためのルール作り(例えばデジタル情報による提出の強制や送受信対応を義務化するなど)と、デジタル情報の可用性確保(保存と利用可能性の維持)、完全性確保(なりすましや改ざんの防止)、機密性確保(漏洩予防)といった情報セキュリティ上の課題が解決されなければならない。これらは先行する行政手続上のオンライン申請が参考になるとともに、海外事例も参考になる。加えてセキュリティの技術的な基盤について、事故が起こった後の回復や原因究明に必要なデジタル・フォレンジック技術も含めて、検討対象とされるべきであろう。
 従来は、このセキュリティ面が最大の障壁となって、裁判所のデジタル化・オンライン化が進んで来なかったといわれている。また今年のように裁判所のサイトがクラッカーにより乗っ取られるといった事態が起きると、余計にセキュリティが万全でなければならないということになる。しかし、セキュリティが万全であっても、情報の漏洩や侵入が起こらないという保障はない。外部からの侵入を防ぐことも重要だが、事故が起こった時のリカバリーを容易にすることも重要であり、そのためにこそフォレンジック技術がある。
 また、手続を動かすのは裁判所および当事者双方に帰属する人間であるから、関係者にとって対応可能なものではなければならない。より詳細には、紙媒体からデジタル情報に切り替える際の心理的抵抗とその克服、技術的なスキルの修得やサポートのあり方、過渡期はもちろん継続的な課題としての教育体制が必要となる。デジタル化を阻む真の障壁は、むしろこちらかもしれない。

 デジタル化に伴うメリットは、民事手続に大幅な効率化をもたらし、多数の当事者・関係者が関与する大規模訴訟や大規模倒産の処理を容易にするとともに、迅速化にも寄与する。これによって生じた余裕により、本来の審理の充実を図ることもできよう。
 しかし、技術面でも課題は残っているほか、心理的な抵抗もまだまだ大きい。オンライン技術を導入した訴訟手続にルールを変えていく場合にも、その手続を動かす人々の心理面での抵抗やスキル面の不安を除去することが真に重要なポイントであろうと思われる。

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