第377号コラム:小向 太郎 理事
(株式会社情報通信総合研究所 取締役 法制度研究部長 主席研究員)
題:「『忘れられる権利』と実名報道」

インターネット上でいわゆる「忘れられる権利」が議論になっている。特に問題となるのは、インターネット上に掲載されている自分に関する情報が間違っていたり、過去の触れてほしくない事実に関するものであったりする場合に、削除を求めることができるかということである。デジタル・フォレンジックとの関係は今のところ大きくないが、こうした権利がどのように認められるかによってフォレンジックの対象としうる情報も変化する可能性がある。

2012年に欧州委員会が打ち出した「データ保護規則(案)」の17条に「忘れられる権利及び消去権(Right to be forgotten and to erasure)」という規定が盛り込まれた。そして、2014年5月に欧州司法裁判所が、自分の過去の報道(新聞記事)内容に関するリンクをグーグルの検索結果から削除するよう求めたスペイン人男性の訴えを認める判断をしたことによって、世界的に注目されるようになった。グーグルは、削除要請を受け付けることを表明し既にかなりの件数が削除されていると報じられている。ただし、どのような範囲で削除に応じるべきかということについては、現在でもさまざまな意見が対立している。

わが国でも、検索エンジンの検索結果の削除を求める訴訟が提起されており、請求が認められている例もある。また、ヤフージャパンはこうした削除要請への対応方針について、有識者会議を設置して検討し報告書を公表している。この問題は、検索エンジンの法的位置付け、求められる公共性や中立性、表現の自由や知る権利との関係など、さまざまな論点がありうる。

ところで、欧州やわが国の事例には、過去に報道された事実が問題となっているものがある。欧州司法裁判所の事例は債務不履行による不動産競売広告に関するものであり、わが国でも過去の犯罪報道が問題となっている例がある。当時は報道されるべき公共性があったものが、時間の経過とともに「忘れられる」べきものになっているかどうかが争われている。

確かに、過去のものとなり現在では社会にとって重要性のない記事については、あらためて公開する必要はないという意見も理解できる。ただ、若干の違和感が残る部分もある。例えば欧州のケースでは、元記事の公開自体は現在も適法であっても、検索エンジンに削除が求められる場合があるとしている。多くの人が情報を求める際に入り口として利用する検索サービスの検索結果を問題とするのはわかるが、「忘れられる」べきものと評価するのであれば、元記事は全く関係ないということにはならないであろう。

もうひとつの疑問は、時の経過によって「忘れられる」べきものとなってしまう犯罪事実は、そもそも実名で報道する必要があったのかということである。犯罪の実名報道の必要性全般を否定することはできないし、リアルタイムでの報道が実名で行われることには、確かに社会的要請がある。しかし、あらゆる情報がデジタル化されて拡散・保存されうる状況が現実のものとなっていることを考えると、実名報道がもたらす波及効果にも変化が生じているのは疑いがない。インターネットの浸透は、どのような事件を実名報道すべきかどうかについても、再考を求めているのかもしれない。

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