第545号コラム:西川 徹矢 理事(笠原総合法律事務所 弁護士)
題:「中間選挙を乗り超えた米大統領選サイバー騒動から」
注意:本コラムの脱稿は12/3(月)です。

1  2016年11月、ドナルド・トランプ候補は、大方の選挙民の予想を覆し、第45代アメリカ大統領に当選した。その後、早々と公約の「アメリカ・ファースト」を実践すべく、国内外で独特な「ディール」手法を駆使して大胆な政策を次々と打ち出し、予想通りというか、時に中国、ロシアをも巻き込んだ大きな衝撃を生み出しながら、本年11月8日に最大の政治的通過点である中間選挙の洗礼を受けた。結果は、ご案内どおり、上・下院で「ねじれ現象」が生じ、波乱が予想される次のステージに駒を進めた。

この大統領選をめぐっては、以前から、何かとサイバーセキュリティやサイバー攻撃とのかかわりが指摘され、きな臭いものがつきまとっていた。私は、仕事柄、その成り行きをウォッチしてきたが、2年前、この選挙戦の最中に報ぜられたサイバー攻撃絡みの記事は、予想を超えた、目を瞠るものであった。勿論、真相は一般人に窺い知ることはできないながらも、正に、「世紀のサイバー攻撃」と評すべきほどのものであった。

2  少しく当時を垣間見ると、時恰も、ヒラリー・クリントン候補が圧倒的な勝利を予想され米国史上初の女性大統領誕生かと世界の注目を浴びていた。だが、彼女が国務長官在任中の2009年、自宅に個人用メール・サーバを設け、これを利用してスマホで国家機密事項をやり取りしていたことが2015年に暴露され政治問題化し、選挙戦の重要な争点となった。また、選挙戦終盤の投票11日前になって、当時の国家捜査局(FBI)長官で共和党支持者とされるコミー長官が、突如、クリントン候補の「メール事件」を再捜査するとの書面を議会に提出し、その後投票2日前になって、同候補を訴追しないと決定した。何故この時期に選挙結果に影響が出そうなことを行うのか。予想外の展開に驚いた。

そして、このような中で、11月8日、大統領選挙の投票が行われた。結果はトランプ候補の大逆転勝利となったが、この疑惑は「ロシアゲート」として、現在も粛々と捜査が継続されており、今回の中間選挙の結果にも影響があったとされている。

3  選挙戦の熱気の冷めやらぬ11月23日、ミシガン大のホルダーマン教授が「この選挙は投票日前から相次ぐサイバー攻撃に見舞われ、民主党全国委員会のメールシステムや複数州の有権者登録システムへの不正侵入があった」とし、米当局はいずれにもロシア政府が関与したと見ていると公表した。その後12月9日にワシントン・ポスト紙が、米国中央情報局(CIA)の秘密評価報告書を引用して、ロシア政府機関のハッカー集団によるサイバー攻撃が行われ、「トランプ側の勝利を支援するものである」と報じた。そして、12月29日にはオバマ大統領が、ロシア政府がアメリカ大統領選挙に干渉するためサイバー攻撃を実施したとし、駐米ロシア外交官35名の国外退去処分と一部ロシア関連施設の閉鎖等の厳しい制裁措置を発動した。ロシア政府はこれに反発したが、結果的にはその措置に応じている。また、トランプ候補は、当初、「ロシア攻撃の証拠がない」と反応したが、翌2017年1月8日に「プーチン大統領がサイバー攻撃を指示した」とする前述の報告書を「受け入れる」と表明した。

現実の政治の世界では、古くから、国の内外、洋の東西を問わず、抜きがたい対立紛争の坩堝の中で、権力者や勢力グループが、特定の社会思想やイデオロギーを大衆に浸透させるため陰に陽にプロパガンダ的な行動を繰り広げることがある。上記の一連の騒動は、昨今のサイバー技術の特性を巧妙かつ大規模に取り込み、通常の情報収集や動向調査を超えて、フェークニュースや偽情報の巧妙な拡散、刷り込み広報等の形で広く世論形成や社会意識の醸成に影響を与えようとしたと見られ、正にサイバープロパガンダというべき一類型をなすものであると思う。

前述のホルダーマン教授は「数年前であればSFのような話だと思ったかも知れないが、2016年は選挙への介入を狙った前例のないサイバー攻撃であった」と述べ、その後明らかにされた報道事実も、「世紀の大サイバー攻撃」と呼ぶに相応しいことを示している。

4  今後のトランプ政権にとって、今回の中間選挙がもたらした上下院の「ねじれ現象」は、多くの政治局面で難しい舵取りを強いるであろう。サイバー関連も、米国の特別検察官が中心となってロシアゲート疑惑を捜査しており、より厳しい局面を迎えると言われ、これまでに身内も含む何人かの大統領側近が疑惑に関与したと名指しされ、偽証罪等で逮捕・起訴された者も複数人いる。特に、主要ポストにいた人物が、最近、捜査当局との司法取引に応じ重要な情報を当局に提供したとも伝えられている。これもあってか、トランプ大統領自身も、近々これらの捜査追求項目について、文書を以て自らの立場を表明するとの報道もあり、当分の間目が離せない状況が続く。

他方、今回のような他国のサイバー攻撃等による選挙干渉から選挙そのものを如何にして護るかが様々な観点から検討された。とりわけ中間選挙を控え、米国情報機関等を中心に選挙介入を警戒する声が日増しに強くなり、これまでの検討成果を踏まえ、官民ともども各種の対策等を実施している。その関連で報道されたものの幾つかを次に紹介する。

(1)8月初旬、ボルトン大統領補佐官ら国家安全保障を担う高官5名がホワイトハウスで記者会見に臨み、民主主義国家の土台が揺らぎかねないとして、選挙介入の阻止に万全を期すことを表明。また、ボルトン氏は同月19日テレビ番組で、警戒すべき国はロシアのみならず中国、イラン、北朝鮮であると名指しした。

(2)同月22日、マイクロソフト社が「裁判所の命令に基づき」6件のインターネットドメインを押さえ、ロシアハッカー部隊(Fancy Bear)が中間選挙に先駆け米国政治家とシンクタンクを標的として偽ウェブサイトを構築しようとしたのを阻止したと公表。

(3)9月12日、トランプ大統領は、中間選挙を前にロシア等を牽制するため、外国政府等による米国選挙への介入に対し制裁を科すことを認める大統領令に署名。

(4)同月18日、米シマンテック社は無償選挙対策セキュリティサービスを開始。

(5)同月20日、国土安全保障省が、2017年5月に署名されたサイバーセキュリティ強化の大統領令に基づき国家サイバー戦略を改正したと発表。

(6)同月26日、トランプ大統領は、国連安全保障理事会の会合で、中間選挙に中国が「干渉」しようとしていると非難。

(7)10月10日、米上院の国土安保・政府活動委員会公聴会において、国土安全保障省長官が
中間選挙に向けて中国が「米国の世論に影響を与えようと、前例のない取組を進めている」と強い警戒心を示し、FBI長官が「ロシアが今日のために闘っているのに対し、中国は明日のために闘っている」との認識を示した。

(8)同月23日ニューヨークタイムズ紙は、米サイバー軍が、ロシアによる選挙介入目的のデマ拡散に対抗するため、サイバー空間で初の作戦を開始したと報じ、翌24日CNNも、米当局は米国サイバー軍が複数の政府機関と連携して、中間選挙へのロシアの介入を阻止するため、ロシアの工作員を標的とする作戦を開始したと報道。

(9)同月24日、FBIは中間選挙の最大激戦区において、民主党候補者を標的にしたDDoS攻撃があったとして捜査開始を表明。

5  また、トランプ政権は、発足間もなく、知的財産権等をめぐる露骨な中国のサイバー攻撃事犯の追求を強力に進め、その制裁の一環として強力な経済措置を次々に講じてきた。これに対して、応じる側の中国は今や後に引くに引けない様相を呈しているが、米国は中間選挙を睨み、その後も攻勢をエスカレートし、今や「経済貿易戦争」というに相応しい国家的な対決状況にまで発展し、多くの国を巻き込んだ新たな政治問題となっている。

このサイバー攻撃に関連する直近の対処事例として、米国司法省は、9月に米陸軍予備役登録の中国人を中国情報機関の絡む企業スパイ活動で逮捕し、10月上旬には中国国家安全省の経済スパイを逮捕、起訴するとともに、10月30日、中国軍の複数の専門家を実行行為者として特定し、中国国内に居住するまま刑事被告として米国裁判所に起訴し、中国の現行施政を厳しく非難している。

6  ただ、上記4及び5で取り上げた中間選挙をめぐる一連の防御措置を見てみても、これまでに、十二分な防御対策が行われたとの声は聞こえて来ない。

近年の情報化社会においては、高度なサイバー技術を擁しても、社会のコンピュータ依存度が高くなり、思わぬところで想定外の脆弱性が増大する事例が散見される。早晩、防御能力の相対的非力化が進み、この種の脅威に対抗して一国の社会制度の健全性を維持することが非常に難しくなるおそれがある。また、かつて政府情報部門の高官が、昨今の情報化社会では、サイバー技術の高さと攻撃ツールへのアクセスの容易さ、実行行為者の割出・責任追求の困難さ、更にはターゲット選択の多様性等から考えると、サイバー技術を駆使した攻撃手法ほど「安価で、安全で、効果のある」ものはないと言っていた。残念ながら、私もこれらの指摘は未だ色あせることなく続いていると考えている。

7  我が国では、2019年のラグビー・ワールドカップ大会、2019年のG20、2020年のオリンピック・パラリンピック競技大会と国際的にも注目度の高いビッグイベントの開催が予定されている。国際テロ等の格好の標的となり得ると考えサイバー攻撃対策や体制強化等が積極的に検討、実施されつつあり、その一部がサイバー関連法の改正や態勢整備、訓練強化等の形で国民の耳目に曝されるようになってきた。

これらイベント絡みのサイバー対策等は、情勢の変化や予算上の制約等の理由でやむを得ず必要最小限に縮小ないしは他の措置で代替されることもあり得るが、他のイベントをめぐる情勢等も視野に入れた調整や工夫を凝らすとともに、その運用や運営において国内外の官民挙げての協力態勢を推進し、関連施策の相乗効果等を発揮するなどにより総合的且つ実効性高い対策を実現できることがある。また、これらのイベント絡みの強化対策は、回を重ねる間に、我が国全体のサイバーセキュリティ水準の底上げに資することにもなるので引き続きその対応策の開発や実績の向上は重要である。

しかし、他方で、今回の米大統領選挙や中間選挙をめぐり計画・実践された選挙介入サイバープロパガンダ的な攻撃等は、国家制度の根幹を揺るがしかねない極めて複雑・巧妙且つ特異なものであり、その与える脅威は被害の及ぶ範囲や質等について他に類例を見ないほど深刻であることを改めて気付かせくれた。

米国では、既に現実の問題としてとらえ、引き続き本格的な検討に入っているが、そもそもここで護られべき対象となる政治制度や選挙制度、更にはその行動様式等は、それぞれの国の歴史的、政治的風土や国民性等が深く絡んでおり、制度研究の中でも各国が個別に検討しなければならないものである。我が国では、平成25年4月にインターネットを活用した選挙を目指す改正が行われたが、その過程で様々な議論や検討が加えられ、現行の国政選挙や統一地方選にも相応な対策が取られたと記憶している。しかし、今回の米国の事例は、プレイヤーやフィールド、スケール、更にはその及ぶであろう影響の大きさ等いずれの点をとっても桁外れなものであり、想像を超えるものであった。

その意味では、今回の米国の事例から得るべき最も大きな教訓は、「国の大小に拘わらず、いずれの国も、国として備えるべき根幹の部分を、今一度、喫緊の個別問題として認識し直し、独自の検討と対策を練り、これを守り抜くべし」というところにある。

一日も早い本格的な研究の推進とその成果が待ち望まれるところである。

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