第727号コラム:須川 理事(新潟大学大学院)
題:「NFT:Non-Fungible Tokenの可能性を考える」

メタバースやWeb3.0と言った言葉と共に最近良く話題に上るものとして「NFT:Non-Fungible Token」があげられるであろう。多少なりとも技術に見識のある人であれば、NFTがブロックチェーン技術を応用したもので、デジタルデータに一意のIDを割り振ることのできるものであることはご存じだと思う。つまり、NFTという技術自体はトレーサビリティを確保できるという点でデジタル・フォレンジックの重要な要素技術になるはずのものである。

しかしながら残念なことにこのNFTについても、「メタバース上の不動産の所有権を得る為のもの」であるとか、「子供の書いたデジタル画に数百万円の値がついた」だとかいった、バブリーなキャッチフレーズみたいなものばかりが先行してしまっている。言うまでもなく、これは新技術をにビジネス投入しようとする際に必ず起きる麻疹みたいなもので、これをもってNFTの本質を判断してはいけない。なまじメタバースやWeb3.0などといった言葉とセットにして次の一攫千金を狙おうとしている人達に良いように使われてしまっていることがNFTという基礎技術の不幸なところではないだろうか。これは、かつてブロックチェーンという基礎技術とビットコインや仮想通貨という言葉がセットになって起きてしまった投資ブームに似ているところがある。結果として、ブロックチェーン技術の本質やその可能性を追求する研究のほうがないがしろにされてしまった感があることは拒めない。

NFTに関してはこのような浮き世話に惑わされることなく、「いかにデジタル証拠として有効に用いることができるか?」という本質的な部分を追求するようにしたいものである。その為のまず一点目として、最も言いたいことは、NFTに”所有権”という言葉を使うことはふさわしくないということがある。先日も、とある場所でこの議論をしたのであるが、この考え方は多くの情報法研究者の共通認識のようである。そもそも電脳空間、そして、形の無い”無体物”に対して有体物の際に用いる語である所有権という語を使うことがおかしい。では、所有権という言葉は正確な表記でないとしても、”所有権のようなもの”であると考えればよいのかと言うと、それも少し違うのではないかと思われる。むしろ、NFTは電脳空間における”登記簿のようなもの”と考える方がすっきりとする。つまり、NFTを付すということは登記するのと同じだというふうに考えるほうが、現実上の法運用に近い。事実ほとんどの人が、デジタルコンテンツを”引き渡す”,”主張する”,”占有する”,”第三者に対抗する”などといった表現のほうがより抵抗感無く受け入れることができるのではないだろうか。これらは民法で物件に対して使われる言葉である。であれば、NFTはやはり所有のようなものと言うよりも登記のようなものとして考えるべきである。

ちなみに、現行の民法177条はこんな条文になってる。「不動産に関する物権の得喪及び変更は、不動産登記法(平成十六年法律第百二十三号)その他の登記に関する法律の定めるところに従いその登記をしなければ、第三者に対抗することができない。」。我々はこの条文を参考に、デジタル空間におけるNFTの使い方や証拠能力を考えてみるのはどうだろうか。
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