第268号コラム: 林 紘一郎 理事(情報セキュリティ大学院大学 教授)
題:「銃規制を考える」

 1992年秋に、日本人留学生の服部君が仮装をしてハロウィンのパーティに出かけたところ、家を間違えたうえ家人の「freeze(止まれ)」という声を無視したため、銃で射殺されてしまうという事件があった。当時私は、ニューヨークに勤務して半年ほどの、在外勤務の新米であった。この事件はその後、大陪審で発砲者に「無罪」の評決が下されるという、日本人の心情からすれば、何とも後味の悪い結果となった(民事の損害賠償は認められた)。
この話は、現地の日系社会でも当然話題になったが、一番驚いたのは、日系企業商工会議所の事務局長を長く勤めている人から聞いた、次のようなエピソードであった。彼が自宅に帰って娘さんに「いくらなんでも心臓を狙うのではなく足でも打てばよいのに」と言った途端、日頃はおとなしいお嬢さんが血相を変えて「お父さん、アメリカに来て何年になるの。一発で仕留めなければ、自分がやられてしまうのよ」と叫んだというのである。

同じような体験は、既に何年も前に義姉から聞いてはいた。彼女の一家は1970年代に北米に渡り、オンタリオ(カナダ)、ニュージャージー、オクラホマ、テキサスなどに住んだことがあるが、それはダラスでの経験だった。昼下がりのラジオを聴いていたところ「殺人犯が脱獄し○○方面に向かっている。銃を持っているかもしれない」とのこと。彼女の家は、まさに○○方面にあるのだった。
 夫は会社にいて、すぐには戻れない。一人っ子は学校に行っており、そこで待機するしかない。とすれば、自宅に居るのは彼女だけで、自分の身は自分で守るしかない。「あの時だけは、ピストルを買っておけばよかったのにと思ったわ」というのが、彼女の述懐であった。

 アメリカは自由の国の代表のように思われているし、それはそれで正しい面が多いが、その自由を政府に保障してもらうだけでなく、自分でも守っているという面は、ともすれば忘れられがちである。日本人には直感的に理解しにくいが、イギリスとの独立戦争を戦ったアメリカでは、銃は自由を奪うものではなく、自由を保障するものなのである。
 憲法補正2条の次の文言が、その証拠とされている。「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない。」文面だけ読むと、民兵という集団が権利の主体であるかに読めるが、アメリカ最高裁は2008年の判決で「個人の権利である」という判断を下している。

 こうした歴史的背景もあって、悲惨な銃殺事件が起きる度に「今度こそ実効性のある銃規制を」という声が強まるが、やがては沈静化して前に進まない。1981年のレーガン大統領暗殺未遂事件の際、負傷して半身不随になったブレイディ補佐官が執念で実現した「銃の購入者の身元を調べ、重罪の前科がある者等には販売しない」という、私たちからすれば「単なる第一歩」に過ぎないように思われる規制から、第二・第三の段階には進んでいない。
 これには全米ライフル協会(NRA)という強力なロビー団体の存在も大きいといわれる。ピート・ハミルのような自由人には『アメリカ・ライフル協会を撃て』というタイトルの本があるが、多数派にはなっていない。NRAのビルと、キャピトル・ヒル(国会議事堂)やホワイトハウス(大統領官邸)の物理的な距離の近さ(それぞれ、ほんの数分の距離)が、NRAの存在の大きさを暗示しているようである。

 ところで銃規制という問題には、全く違った側面もあるのかもしれない。ニューヨーク時代の私の仕事の第一は、アメリカ政府から来る「アメリカ製品をたくさん買え」という要求にどう対応するかだったので、ロビイストとの付き合いもあった。当時本社の山口社長が来米された際、ロビイストの紹介で「銃の試射場」に案内されたことがあった(残念ながら、私は同行できなかった)。
 そのとき「いかがでしたか」と問う私に帰ってきた山口さんの言葉は、今でも忘れられない。「林君。病み付きになるかも知れないよ」。山口さんは自分を律するに厳しい人だった。その人の言葉だからこそ、銃使用と習慣性の結びつきを推測するに十分であろう。

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