第295号コラム:小向 太郎 理事
(株式会社情報通信総合研究所 法制度研究グループ部長 主席研究員)
題:「なぜ日本の公衆無線LANにはユーザ登録が必要なのか」

東京オリンピックの開催が決まり、あちこちでオリンピックに向けた準備が始まっている。これを機会に外国からの旅行者に優しいインフラを整備しようという気運が高まっている。そのせいもあってか、日本の公衆無線LANが海外に比べて不便なので、何とかしなくてはという意見を聞くことがある。

たとえば、日経新聞の2013年11月9日の記事では、「無料WiFi
外国人旅行者、メルアド要求に困惑」という見出しで、利用に際してメールアドレス等を登録しなければ使えなくて不便だという声を紹介している(http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD080B3_Y3A101C1TJ2000/)。確かに、米国のスターバックスやウォルマートで公衆無線LANを利用する場合には、登録等をしなくてもアクセスができる。日本では、地方自治体等が観光客向けに提供している無料サービスでも、最低限メールアドレスの登録を求めている場合が多い。これは、セキュリティを確保するためだと受け止められているようだ。先の日経新聞の記事でも、「無線を使うため、データの傍受やなりすましが起こりやすいとの懸念が根底にある。安全対策は重要だが、使い勝手との両立を考える必要がある」と説明している。

しかし、利用者が登録をすれば「データの傍受やなりすまし」が防げるのだろうか。これはむしろ、公衆無線LAN経由でインターネットにアクセスした者が不正アクセスや犯罪を行った場合に、追跡の手がかりとなるように登録をしていると理解した方がよい。インシデント発生時におけるデジタル・フォレンジックスの元になる情報として、こうした登録が必要だと考えられているのであろう。それでは、なぜ米国ではこうした登録なしでアクセスが提供できているのだろうか。

例として、ウォルマートの無線LANの利用規約をみてみると、「通信とコンテンツのモニタリング」という項目があり、通信を行ったコンテンツの「URL、検索ワード、アプリケーションのコマンド、ファイルネーム、ファイルサイズ、ファイルタイプ」や、「送受信者のeメールアドレス、発信側受信側の電話番号、テキストメッセージ送受信側の携帯電話番号等」の情報を、取得する場合があると明記されている。これらの情報は次のような目的で使われ、目的に適合する場合にはその後も保存される。そして、これらについて、無条件に同意することが規約上求められている。

・アダルトコンテンツやポルノのフィルタリングやブロッキングを行うため
・サービスのアクセス・送信・受信・利用ログの記録やモニタリングなど、不正アクセスの防止のための合理的なセキュリティ対策を提供するため
・本規約に書かれている免責や制限に従って、サービスの利用可能性や速度といった、適正なレベルの継続的なサービスを保証するための、合理的な努力をするため
・サービスに関するトラブルシューティングと潜在的または顕在化した問題に対処するため
・必要と認められる場合に、適正な手続きに従って、政府機関や法執行機関またはウォルマート判断によって、政府機関や法執行機関に対して情報を開示するため

なお、この条項の最後には「通信やコンテンツの伝送のために、安全が保証されないwifiのような公衆の通信手段を利用する際には、そのリスクを認識し理解することが、あなたの責任として求められます」という、自己責任を強調した記述がある(http://corporate.walmart.com/privacy-security/wi-fi-terms-of-use)。

通信の秘密が厳格に保護されている我が国では、これだけの情報を、公衆無線LAN事業者が利用規約に示しただけで取得することは許されない。端末識別情報等を取得する場合があるとしても、利用者の同意が前提である。わが国の通信の秘密は諸外国と比較しても保護される情報の範囲が広い。通信内容だけではなく、個別の通信の通信当事者や通信の存在自体も対象とされている。インターネットで流通するIPパケットのヘッダや経路の情報も通信の秘密であると考えられているため、例えばDDoS攻撃のような大量通信が行われた場合でも、電気通信事業者のネットワーク内で取り得る対応が限定され、情報セキュリティ対策の妨げになっている面がある(小向太郎『情報法入門(第2版)-デジタル・ネットワークの法律』(NTT出版、2011年)71-81頁参照)。通信の秘密について、検討すべき課題があることは間違いがない。

しかし、情報セキュリティのために、事業者によるモニタリングを利用者に無断で行うべきだということになるだろうか。通信の秘密を強く保護するのは、これが脅かされると人権侵害の恐れが大きいからである。ネットワークが社会生活に欠かせないものになっている現代においてこそ、通信の秘密の意義は大きい。おそらく、公衆無線LANの不便を訴える人も、メールアドレスを登録するのと、事業者に通信をモニタリングされるのと、どちらが好ましいかという風には考えていない。

もちろん、公衆無線LANの使い勝手を改善する必要があるのも確かである。もし、セキュリティの目的で利用者を把握する必要があるのなら利用する際に最低限の登録をしてもらうとしても、すでに一部で取り組みがなされているように、一度の登録によってできるだけ広い範囲で利用できるようにするべきであろう。外国人にとってもアクセスしやすいような工夫も不可欠だ。バランスのよい改善と運用がされて、利便性が向上することを期待したい。

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