第206号コラム:秋山 昌範 理事(東京大学 政策ビジョン研究センター 教授)
題:「医療イノベーションとデジタル・フォレンジック」

最近、医療イノベーションという言葉が散見されるようになった。これは平成22年9月7日閣議決定された「新成長戦略実現会議の開催について」に基づき、産官民が協力して実用化に向けた医療研究開発の推進を始めることで、最新の医療を提供するためのイノベーションの一つである。この実現のためには、基礎研究段階から臨床応用への円滑な移行を担うトランスレーショナル・リサーチ(TR;橋渡し研究)という仕組みが必要になる。そこでは、研究者が薬剤や器具を用いて行ってきた基礎研究成果を基盤に、新たな疾患の予防や治療、診断等の開発を目指し人への臨床応用を研究することが重要である。すなわち、人へ臨床応用することが科学的に妥当であると、基礎研究である実験動物を用いた初期の非臨床試験の段階でも適切に確認しておくことが重要となる。特に遺伝子治療や再生医療といった先端生命科学研究の応用においては、従来の方法では効果や安全性を予測することが困難であり、臨床応用の妥当性を十分に説明するだけでなく、社会科学的見地から、臨床応用における被検者の尊重や社会的責任等、これまで以上の倫理的配慮を重要視されるようになる。

そのために、産学官が一体となったオールジャパン体制や研究開発の基礎から実用化まで切れ目ない基盤が必要になる。情報を上手く流通させることが成否のカギを握る。特に、実用化により飛躍的な成果が予想されるが、相応のリスクも予想されるゲノム医療等においては、効果のみならず安全性をも見据えたデータベースやバイオバンク等のナショナルレベルの研究基盤が必須である。その中の情報が、実験動物レベルではプライバシーの問題は少ないと予想されるが、橋渡し研究では対象患者の個人情報が含まれてくる可能性がある。特に、ゲノム医療等では新薬と患者の遺伝子情報を含む属性が相性として重要になるので、データベースに登録される可能性のある情報には、個人情報を含むことになる。ともすれば、メリットのみに視点が集中しがちであるが、リスクも正しく認識するためにはアドバース・イベント(adverse events)と呼ばれる人に傷害を起こした有害事象の迅速な収集・情報共有が重要である。それらには通常個人情報が含まれるが、二次災害を起こさないためには、可及的速やかに広く情報提供する仕組みが重要であり、情報流通の中で個人情報を保護する基盤が求められる。

繰り返しになるが、医療イノベーションにTR基盤は必須である。これを推進することは我が国の産業振興のみならず国民の医療・健康レベル向上にも大きく寄与するだろう。しかし、そこに流れる個人情報が万一にでも漏えいするようなことになれば被害は甚大である。したがって、安全安心に個人情報を利用できる情報流通基盤が望まれる。そのためには、デジタル・フォレンジックのような証拠性の確保技術の普及が必須であり、コンピュータ・フォレンジック、ネットワーク・フォレンジックを駆使して、安心安全なTR基盤が構築されることを必要がある。その実現のため「技術」「法務・監査」「医療」の分科会間のさらなる連携を期待する。

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