第563号コラム:佐々木 良一 理事(東京電機大学 研究推進社会連携センター 総合研究所 特命教授 兼 サイバーセキュリティ研究所 所長)
題:「『研究の勘所』再考」

1.はじめに

私は1971年に日立に入社し、最初は情報システム研究所に配属された。大学時代に疫学(医用統計学)を専攻していて、計算のために当時はあまりやる人がいなかったプログラミングをやっていたことが縁となってこの研究所に配属されることになった。情報システム研究所は私の入社の1年ほど前に誕生したもので、計算機事業部のディビジョンラボであった。まだ、「システム」という言葉が一般にはよく知られない時代で、システムというのは何ですかとよく聞かれた。当時は、「団子の串みたいなものですよ」というような説明がなされていたように思う。「システム」の研究をどのように進めるかは、まったく手探りの状況であった。

2年ほどしてこの情報システム研究所と、中央研究所の一部とが一緒になり、コーポレイトラボのシステム開発研究所が誕生した。この2年間の間に私もシステム研究の在り方・進め方については、いろいろ考え、ノウハウも少しは蓄えていたが、新しく来た中央研究所の部隊はもっと進んでいた。特に、研究依頼元である工場との協力の方法や製品化に向けての特許戦略などは段違いだった。

このため、それまでの情報システム研究所での研究は否定され(今から思うと否定されても仕方がない部分はあるのだが――)、二言目には情研出身者はだめだといわれた。これはなかなかにつらいことであったが、それまでの価値が否定されることによって、若い時代から、上長の言うことを黙って聞いているだけではだめだ、研究者は何をやるべきか自分で決めるしかないと思えるようになったのは結果的に大変な財産だった。

このような形でシステム研究者の道を歩み始めたが、若いころは、要素技術研究者がうらやましいときがあった。専門性が高く、若くてもリスペクトされるからである。一方、システム開発はいろいろな技術や、人や、組織を組み合わせてシステムを作り上げるため要素技術の占める比率は低い。所詮、団子の串かもしれないと思ったこともある。このためシステム構成の決定に必要となる離散型最適化という要素的な技術を必死で磨いていた時代もある。

30歳代後半になってからはシステム研究の面白さに目覚める。役職に就いたこともあり、社内外の専門家や部下と議論をして、あるべきシステムを明確にし、行うべき研究テーマを明確にし、要素技術者に基幹の部分を開発してもらったり、工場に製品化を働きかけたり、顧客に説明をしたりした。セキュリティの研究を1984年から始めたが、私個人の研究はシステム研究者としての立場からのものであり、システム全体を扱うリスク評価に関するものが多かった。また、製品化にも協力するとともに、顧客のセキュリティシステムの開発の相談にも乗った。2000年には相談に乗って受注にまで至ったシステムの売り上げは公開鍵認証基盤システムなどを中心にして100億円を超えたと聞いている。

2.2つの「研究の勘所」

システム開発研究所が誕生して数年たち、だんだん一体感が出てきたころ、システム研究の方法論を「研究の勘所」としてまとめることになった。M主管研究員が中心になってまとめたものでなかなかいいものだったが、やがて忘れられていった。

時がたち、企業内研究者への見方が厳しくなる中で、自信を持てない研究者や、上にいわれたことだけをしっかりやる研究者が増えていったように思えた。そこで、今から25年ほど前、「研究の勘所」の見直しを図ることを提案し、認められた。古参の研究者が分担して原案を作成し、みんなで討議する中で完成していった。「研究の勘所」自体は工場との協力関係や特許戦略などいくつかの項目がある中、私は研究の進め方の部分を執筆した。旧来のものも大変参考になったが、大部分は作成しなおした。

その結果は次のとおりである。

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(1)新しいことをやろう。他人と同じこと、似たことをやっていては研究ではない。

(2)研究はニーズ指向でなければならない。しかし、今あるニーズに対応するだけがニーズ指向ではない。3年後5年後の世の中を想定し、そこに必要な製品やサービスを実現するための技術開発や試作が本当のニーズ指向の研究である。

(3)新しいニーズを先取りすることにより、新しいアプローチが生まれる。早ければ何をやっても新しい。この段階での新しさは特許にしておけば新しさが保存される。

(4)世の中の要求は時代とともに変わりうる。評価指標を変えてシステムの検討をしてみよう。たとえば、sustainable志向のように。評価指標が異なると新しいアプーチが生まれ、新しいシステムが生まれる。

(5)世の中は動き出すと技術者の予想以上に進む。1つの指標を極端にまで深め、広げてあるべきシステムを考えてみよう。例えば「超汎セキュリティ思想」のように。

(6)役に立たない本を読め。役に立たない情報の集積がいつか、他人が思い付かないアプローチを生む。

(7)良い研究には良い情報が不可欠である。良い情報は良い情報を発信しないと入ってこない。

(8)自分が独創的だと思っていても筋の良いアプローチだと似たような発想は必ず見つかる。そこからが本当の勝負である。

(9)部分的な個々のちょっと良いアプローチの集積が長い間にトータルとして独創的研究につながる場合もある。長くやれるようにすることも独創的な研究に不可欠である。継続は力である。

(10)良い研究をやる秘訣は畢竟「早くやること、長くやること」である。

(11)問題にぶつかったら妥協せず徹底的に考えること。グッドアイデアは、(情報+経験)×執念である。

(12)ライバルとのつばぜり合いに勝てるかどうかは何日眠れない夜をすごしたかに依存する。なお、眠らない夜ではない。

(13)自分を大切にしよう。自分を大切にできない研究者は他人も大切にできない。

(14)もっと飢餓感をもて。もっと自負心をもて。最後の粘りはこれらのコンプレックスがささえてくれる。

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3.今思うと

ここに示した、研究の勘所はあくまでシステム研究に関するものであり、理学などに関するものでは違うのだろうと思う。理学は神が問題を作り人が解くゲームであり、工学は人が問題を作り人が解くゲームであると思うからだ。

また、大学に移り、学生と一緒に研究をやるようになって次のような項目を追加してもよいかとも思う。

(1)人は失敗から多くのものを学ぶが、成功からしか学べないこともある。若い人たちに対し勝ち戦を経験させることも大切である。

(2)研究は「勝ちのシナリオ」があるからといってうまくいくものではないが、「勝ちのシナリオ」がない研究はまずうまくいかない。早く着手できるとか別の分野で確立した技術が使えるなどのメリットをどう生かせるかの「勝ちのシナリオ」を事前や研究中によく検討しておくことが必要である。

(3)大学にいると論文化に目が行きがちである。しかし、論文化は中間着地点であって成果ではない。真の成果は世の中に役に立つことであることを肝に銘じる必要がある。

今振り返って、システム研究のテーマの選定にはこの「研究の勘所」は役立ったのではないかと思っている。わたしは、1984年セキュリティの研究に着手し、2002-3年にデジタル・フォレンジックの研究に着手し、2004-5年にリスク評価・リスクコミュニケーションに着手したが、いずれもその時点で着手してよかったなと思っている。

しかし、一つ一つの研究テーマの中では反省すべき点も多い。今、顧みて大した研究成果は出せていないことを痛感する。そして眠れない夜を過ごすことが少なくなってきた。今や飢餓感が決定的に不足している。私は80点を取ったと思うまではかなり頑張るのだが、そのあとは淡泊になるところがあり、反省すべき点が多い。

学ぶことは先人の知恵を引き継ぐことであり、研究することは、自分の思考の過程を将来に伝えることだろう。一流研究者には程遠いが、人生において研究に携われたこと、特にシステム研究に携われたのは大変幸せなことであったと思う。

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