第358号コラム:辻井 重男 顧問(中央大学研究開発機構 機構教授)
題:「『組織通信における理念・価値観と情報セキュリティ概念の高度化』へ向けての序論」

20世紀までの情報通信は、通信の秘密保全を価値観とする個人通信が主であったが、今後、マイナンバーの導入、関与者の拡大、大量の文書の電子化などにより、組織間の通信(以下、組織通信と呼ぶ)が飛躍的に増大するものと予想される。より広く放送・通信分野の世界は、個人通信、組織通信、交流サイト、公共放送の4つの分野に分類されることになろう。

組織通信では、正確性、緊急性・迅速性、機密性、証拠性、送信文の論理的無矛盾性、日本語の論理性、多言語性など、これまで重視されなかった多様な価値観が要請される。

例えば、私が理事長を務めている一般財団法人マルチメディア振興センターが、総務省と協同して、全国的展開を進めている公共情報コモンズ(災害情報伝達システム、Lアラートと略称)では、自治体やライフラインからNHKなどのメディアへ、災害情報を正確に迅速に伝達しなければならない。また、海外からの観光客などのために多言語で、災害情報を伝達することが必要である。

このような、組織通信の例としては、

1 これまでの日本の電子行政では、自治体間でのデータ交換は殆ど行われていなかったが、今後、マイナンバーの導入により、自治体間、自治体と金融機間・企業間での電子文書のやり取りが増大する。

2 医療・介護分野でも、これまで、病院内で閉じていた医療情報が、複数の病院間や医療機関と介護施設間での共有のため、個人の医療情報を送受信する必要が生じている。

3 民間企業同士では、これまでも電子文書の送受信はかなり行われていたが、最近相次いで生じている個人情報漏洩事件などを考慮し、情報の機密性や法的整合性にこれまで以上に注意を払うべき通信が多くなる。

等が挙げられる。

これ等の情報通信に共通する環境としては、クラウドの利用が挙げられる。送信情報に関する知識の取得や文章の論理的整合性、或いは法的整合性などを、受信組織に送信するに先立って、クラウド等を利用して獲得・確認しておくことが望まれる場合が少なくない。

組織通信の理念・価値観と課題

個人通信における理念と価値観は憲法21条に明記されている通り「通信の秘密は、これを侵してはならない」であったが、組織通信では、状況に応じて、正確性、緊急性・迅速性、機密性、証拠性、送信文の論理的無矛盾性、日本語の論理性、多言語性など、これまで重視されなかった多様な理念と価値観が要請される。以下、これ等について簡単に説明する。

正確性;
個人通信と異なり、安易な訂正は好ましくない。特に、災害情報等では、訂正が間に合わないケースもあるので、可能な限り正確性を期すことが望まれる。

緊急性・迅速性;
災害・救急情報を始めとして、緊急性・迅速性が要請される場合が少なくない。

機密性;
個人情報や企業の営業・技術情報等、機密を要する情報が組織間で送受信されることが多いことはいうまでもない。個人情報については、保護と利用の両立という課題が重要性を増しており、技術、法制度、行動規範、マネジメントを総動員した対策を急がねばならない。特に、クラウドを利用して、情報・知見を得る場合には、秘匿詮索や暗号化状態処理が必要となるケースも多い。これについては、後述する。

証拠性;
組織通信においては、法的トラブルや内部統制の観点から、送受信された重要なデータを証拠として保全しておく必要がある。証拠の収集・分析・保全・開示に関する技術、法制度、システム監査に関する総合的手法としては、デジタル・フォレンジックがあり、これまでは刑事訴訟法・民事訴訟法が主たる対象であったが、今後は、組織の内部統制上及び法的リスク管理の必要性も増大すると考えられる。

法的整合性;
自治体が作成する条例や企業などが制定する諸規則が、法律、政令・省令、或いは省庁が定めるガイドラインに適合していることを確認した上で、他の組織に送信することが必要である。そのためには、北陸先端科学技術大学院大学などで研究されてきた法令工学が有用であるが、法令工学は、言語解析と論理学の両面から攻究されるべき奥の深い分野であり、今後の発展が期待されている。

送信文の論理的無矛盾性;
送信組織は、構文解析的レベル、或いは意味解析的レベルで、送信文に論理的矛盾がないことを確認してから、相手組織へ文書を送信することが望まれる。

日本語の論理性;
日本語は、英語など欧米語に比べて、無主語であるケースが多いことや、単数と複数の区別がないことなど、論理性が低い面があり、組織通信において注意が必要である。

多言語性;
冒頭に述べた災害情報の伝達に限らず、在日外国人の増加や国際化の進展に伴って、多言語での送信が必要となる場面が多くなると予想される。

情報通信の新階層

これまでの情報通信の階層は、送信者が伝えたい内容(情報、知識、意思、感情等)とそれを支えるためのTCP・IP、或いはOSIセブンレーヤの2階層から成り立っていた。将来の組織通信では、送信者が伝えたい内容に対して、上に述べたような組織通信の理念・価値観を正確に具現化する階層が重要な役割を果たすと考えられる。これ等の、高度化された情報セキュリティ概念とも言える、理念・価値観を具体化するための階層を、TCP・IP、或いはOSIセブンレーヤの上位レーヤとして構築し、送信者が伝えたい内容(情報、知識、意味、感情等)を支えると考えてはどうだろうか。

我々、中央大学研究開発機構では、デジタル・フォレンジックも視野に入れて、私が、楕円暗号などによる組織暗号、片山 卓也 教授(前北陸先端大学院大学学長)が法令工学の視点から、ポスドクや高齢研究者等と共に、上記、新階層の具体化に取り組んでいる。

余談;
課題先進国日本の課題の1つは、高齢化であるが、ポスドク1万7千人の活用も深刻な課題である。博士は取得したが、大学の就職口がない。箱根の関を超えるまでの首都圏の大学教員の募集に対する競争率は100倍を超えると言われている。

数年前、NHKが、ポスドク問題を取り上げ、末はノーベル賞かと云われたある物理学分野のポスドクが、年収270万円でトラックの運転手をやっているという話を紹介していた。

私は、10年以上前、70歳で、中央大学を正式には退職したが、その直前に、文部科学省の21世紀COEを研究代表者として獲得したのが、運の定め。以来、中央大学研究開発機構教授という非正規のポジションながら、3名のポスドクを抱えて、悪戦苦闘、3年毎に政府系大型プロジェクトを獲得して来た。今年、漸く、そのうちの1人(海外から度々、講演などに招待される程の業績のある数学系研究者)が、ある大学に教授の定職を得たという次第。

そうこうしている内に、高齢者でやる気のある研究者が増えてきた。例えば、今、私のグループにいる山口 浩 開発機構教授は、76歳、毎朝4時に起床して研究開始。今年は、1月は米国、2月はタイ、3月は韓国の国際会議で論文発表という目覚しい活躍ぶりである。上記の片山先生も後期高齢者。また、現在、世界で年30回位開催されている暗号の国際会議で、約25パーセントは、ペアリングに関する分野だと言われていますが、そのペアリングを世界に先駆けて提案した笠原 正雄 中央大学研究機構教授(ご子息は笠原 健治 ミクシー会長)は、喜寿を過ぎてなお、学会発表を続けておられる。

という訳で、ポスドクと合わせて、高齢研究者の活用も日本の課題ではないだろうか。

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