第626号コラム:松本 隆 理事(株式会社ディー・エヌ・エー システム本部 セキュリティ部)
題:「『支援金』を暗号資産で支払う人たち」

暗号資産(仮想通貨)には取引の匿名性が担保されていると表現されることがある。それはある意味では正しく、ある意味では誤解されている。暗号資産はその取引情報が公開されている範囲において、技術的にどこまでも追跡することができる。しかし、追跡したところで、その取引に利用されたアカウントが利用した本人と最終的に紐づくとは限らない。

支援金はもともと匿名かつグローバルに受け付けることも多いことから、匿名なまま取引可能な暗号資産との親和性は高い。今回のコラムでは、少し特殊な「支援金」を暗号資産で送金する人たちにまつわるエピソードを紹介する。

◆ゴーン氏の逃亡報酬
日産自動車の元会長、カルロス・ゴーン容疑者が保釈中にレバノンに逃亡した事件で、逃亡を支援した米国人親子にカルロス・ゴーン氏の息子であるアンソニー氏から、およそ50万ドル分の63ビットコインが支払われていたことが明らかになった。米大手暗号資産取引所Coinbaseは、2020年7月20日付けで日本の法務省に向けてトランザクションのレポートを提出した。レポートの一部はWebメディアによってネットで公開されており、墨塗りされているものの、誰でも本件のエビデンスを読むことができる。

Coinbaseのレポートによると、アンソニー・ゴーン氏から米国人のピーター・テイラー氏に向けて2020年1月21日から同年5月15日までに、計7回にわたり、およそ50万ドル分のビットコインが、Coinbaseのプラットフォーム上から送金されたと報告されている。捜査機関を含めた第三者は、対象の銀行口座に紐づく資金の出入りや、公開されたブロックチェーンのトランザクションを確認し追跡できたとしても、トランザクションの送金及び受領のアドレスが誰と紐づくのかを調査し、関連する送金の全貌を把握することは非常に難しい。送金が、取引所によって本人確認済みアンソニー氏の正規アカウントから行われたのか、それとも捜査機関からの情報提供(最後の送金日は米国人親子逮捕の5日前だった)によって、偽装された当該アカウントとアンソニー氏が紐づいたのかは定かではないが、アンソニー氏のものとされるユーザアカウントはCoinbaseの管理下にあり、それゆえに詳細なエビデンスがCoinbaseから提出される形になった。

アンソニー氏に送金を隠す意図があったかどうかは明らかではないが、チェックの厳しい銀行の海外送金ではなく暗号資産で、しかも63ビットコインを7回のトランザクションに分割し、4か月間をかけて送金している点は注目する必要がある。ただし一方で、本気で隠匿するつもりならもっと本人確認の甘い取引所を選択したとも考えられる(Coinbaseは本人確認のしっかりした取引所である)。ともあれ、ビットコインは他のマイナーな暗号資産に比べ資産価値が高く、法定通貨や、他のよりセキュアな暗号資産との交換も容易であるため、こういったグローバルな個人間の「送金」に向いているといえる。

◆違法薬物密売組織の「新型コロナ対策支援金」
新型コロナウイルスは、当然のことながら違法なビジネスにも大きな影響を及ぼしている。あるダークウェブコミュニティで違法薬物を販売しているベンダーは、勤務日を週2日に短縮し、商品の再発送/払い戻しオプションを最大3週間延長し、薬物愛好家の不要不急の外出とトイレットペーパーの買いだめ自粛を呼びかけている。

そして、ベンダーは違法薬物コミュニティに対して、違法薬物の売り上げの10%分のビットコインを、Helperbit経由でイタリア赤十字に寄付をしようと提案し、「実にクールなアイデアだ」と賛同するベンダーがいくつか表れている。

ダークウェブコミュニティで共有されたイタリア赤十字支援のビットコインアドレスには、2020年7月時点で通常の支援金も含めおよそ7万ドルの寄付金が集まっている。仮に違法薬物ベンダーが「汚れた」売り上げの10%を寄付していたとしても、合計180ものトランザクションを精査してベンダーからの送金を赤十字側が識別することは困難であり、匿名の寄付を暴く余力も意義もないだろう。暗号資産は表も裏も関係なく「支援金」をより匿名な状態で手広く集めるのに向いているといえる。

◆テロ資金支援の変化
暗号資産によって、テロ組織への支援の形も大きく変化している。国家に敵対する組織への金銭的支援を、ネットワークの匿名化技術と暗号資産の組み合わせによって、当局の追跡を回避しながら行うサービスが登場した。このダークウェブ上のサービスは、ビットコインよりもトランザクションの情報が秘匿された、いわゆる「匿名暗号資産」と、Torの通信経路の匿名化技術を組み合わせることによって、極めて強固な送金の匿名性を担保している。サービスの謳い文句は「Many of us live within the United States」。つまり、米国に住みながら、米国に敵対する組織に対して手軽に金銭的支援を行えるという時代になったということだ。

暗号資産は、法定通貨のような国や中央銀行による中央集権的な体制を必要としない、新しい通貨を目指して開発された。従来の金融機関による中央集権的な管理体制の不満が、開発の大きなモチベーションであったといわれている。伝統的金融機関が長年かけて築いてきた規制にとらわれない自由な資産運用は、利用者にとって暗号資産の魅力と映るかもしれない。だが、一方で暗号資産の盗難や、マネーロンダリング及びテロ資金供与、グレーな資金の匿名送金などが多発している現状は、決して放置されるべきではない。暗号資産の悪用を防ぎ、利用者の財産を保護するためにも、暗号資産に関する国際的なルールを今後も継続的に整備していく必要があるだろう。

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