第76号コラム「科学的証拠とデジタル・フォレンジック」

第76号コラム:安冨 潔 副会長(慶應義塾大学大学院 法務研究科、IDF副会長)
題:「科学的証拠とデジタル・フォレンジック」

1990年に発生したいわゆる足利事件では、当時導入されて間がないDNA型鑑定の結果が有力な有罪証拠として無期懲役が言い渡されたのですが、当時の鑑定結果と異なる再鑑定結果によって再審が行われることとなったことは周知のことです。この事件は、有罪判決を受けて服役したS氏にとって取り返すことのできない極めて重大な人権侵害を引き起こしたというだけでなく、刑事裁判における科学捜査のあり方と収集された証拠の評価について考えなければならない問題を提起しました。

そもそも、刑事裁判において、鑑定試料の収集・保管と分析が適切になされなければ、証拠としての価値はないのですが、科学技術を用いた捜査ということで自白や供述よりも信用できると捜査機関や裁判所が過信してしまう危険がないわけではありません。このことは、デジタル・フォレンジックという科学捜査の手法が定着しつつあるなかで,今後,ますますデジタル証拠の重要性が増すと考えられるだけに、デジタル・フォレンジックを活用する上で、留意しておかなればならない関心事ではないでしょうか。

第73号コラム「文献にもるリスクと人間」

第73号コラム:佐々木 良一(東京電機大学 未来科学部 教授、IDF理事)
題:「文献にもるリスクと人間」

1 はじめに

デジタルフォレンジックを含むITシステムの「リスク」の研究をしている関係から、リスクに関連する文献を読むことが多い。リスク (risk) という言葉は、経済学、社会学、心理学など多くの分野で使われており、その定義は少しずつ違うが、「ある行動に伴って、危険に遭う可能性や損をする可能性を意味する概念」と言う意味においては共通であろう。工学分野では通常、「リスク=損害の発生確率x損害の大きさ」で表されることが多い。

最近次のような3冊の比較的面白い本を読んだので、これらを紹介し感想を述べてみたい。
1)ダン・ガードナー「リスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理」早川書房 、2009
2)山岸 俊男「日本の「安心」はなぜ、消えたのか―社会心理学から見た現代日本の問題点」集英社インターナショナル 、2008
3)ナシーム・ニコラス・タレブ「ブラック・スワン 不確実性とリスクの本質(上)(下)」ダイヤモンド社、2009

第72号コラム「情報新時代に求められる教養と人材育成―総合力と止揚力」

第72号コラム:辻井 重男(IDF会長、中央大学 研究開発機構 教授)
題:「情報新時代に求められる教養と人材育成―総合力と止揚力」

下記の文章は、昭和16年12月8日、真珠湾攻撃成功のニュースに接したある文芸評論家の日記である。誰の文章かお分かりだろうか。

「妙に静かに、ああこれで言い、これで大丈夫だ、と安堵の念の湧くのを覚えた。この開始された米英相手の戦争に、予想のような重っ苦しさはちっとも感じられなかった。方向をはっきりと与えられた喜びと、弾むような身の軽さとがあって、不思議であった」、「大和民族が、地球の上では、もっともすぐれた民族であることを、自ら心底から確信するためには、いつか戦わねばならない戦い」(ドナルド・キーン(著)、日本人の戦争 作家の日記を読む (文芸春秋)より)。

これは、戦後、昭和30年代を中心に「文学に関する12章」や「女性に関する12章」などのベストセラーを世に出した著名な英文学者・文芸評論家、伊藤整が記したものである。伊藤整は当時、東工大の教養課程の講義もしており、筆者も受講した1人であった。日米開戦時、同じような感想を持った著名な文学者や作家が少なくない。